子供たちの結婚と後継者問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/02 03:18 UTC 版)
「メアリー・オブ・テック」の記事における「子供たちの結婚と後継者問題」の解説
長女メアリー王女は1922年にヘアウッド伯爵と結婚し、円満な家庭を持った。そのメアリー王女の結婚式で、花嫁介添人(英語版)を務めたエリザベスが、次男アルバート王子と1923年4月に結婚した。アルバートとエリザベス夫妻には、1926年に長女エリザベス王女が誕生した。三男ヘンリー王子はスコットランド貴族の令嬢アリスと結婚した。唯一、四男ジョージ王子のみが、ギリシャ王家のマリナ王女と結婚し、王族を妃に迎えている。 国王夫妻が築いた円満な家庭(のイメージ)は、1921年に英国を含む欧州各国を訪問した日本の皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)にも強い印象を与えた。 しかし、長男エドワードは色々な女性と浮き名を流し、王位継承者に相応しくない振る舞いが続いた。ジョージ5世は、40歳になっても独身のままのエドワードよりも、次男アルバートとその娘エリザベスへの継承に期待をかけるようになっていった。 ジョージ5世の肉体的な衰弱は著しく、1936年1月20日にサンドリンガム・ハウスで崩御した。メアリー王妃は、日記に「エディとジョージ兄弟の死に同じ場所で立ち会った」旨を記した。また後年、ジョージ5世の崩御が、メアリー王妃らの同意を得た「安楽死」であったことも公表されている。
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