玩具デザイナーとして
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/18 02:55 UTC 版)
1935年江崎グリコに入社。面接時に創業者の江崎利一に菓子に玩具のおまけを付けることを提案し採用された。販売促進のためカード等のおまけを商品に付けていた利一は玩具をおまけに付けることを決し、順三はミニ玩具のデザイナーとなった。日本と世界の玩具を参考にして約3000種のデザインを手がけた。日中戦争の激化とともに金属類は供出の対象として回収され、火薬の材料となるセルロイドも使用が禁止された。材料不足の中で廃品・雑木を集めてはおまけの制作を続けた。物資不足が深刻化すると天津に趣き材料調達に奔走する日々を送った。しかし、戦局は激しさを増し、おまけは生産中止に追い込まれてしまい、順三も徴兵されてしまった。
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