失踪報道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 21:45 UTC 版)
2011年9月になり、奥山が4月に失踪していたことが報道される。 5月になり奥山が住むマンションの大家が奥山の実兄に3月分と4月分の家賃を滞納していると連絡し、5月18日に奥山のマンションの所在地である神奈川県警に捜索願を出し、5月19日、知らせを受けた吉本社員と実兄が、奥山が1人暮らしをしていた川崎市内の自宅マンションを訪れると、4月5日付けのスポーツ新聞がリビングに置かれていた[出典無効]。洗濯物が干され、浴槽の水も張られており、普段使用していたショルダーバッグも自宅に置かれたままで[出典無効]、財布と預金通帳と携帯電話が消えていた[出典無効]。東日本大震災直後の3月11日に吉本興業が安否を確認していたのが最後で[出典無効]、番組での共演で親交が深い前田忠明や友人も4月後半から連絡が取れなくなり心配していた。それ以前には彼と会う度に「何かあったら必ず連絡しろよ」と何度も言っていたといい、自殺の動機には何も思い当たらなかったという。 最後に近隣住民が奥山を目撃したのは3月12日であり、リポーター仲間の阿部光利が3月上旬にパーティーに誘う電話をしたが「もうちょっと待ってくれ」と言われたという[出典無効]。 なお、部屋からなくなっていた奥山の通帳の口座を警察が調べたところ、4月以降に口座が使われた形跡がなかった。携帯電話についても、5月上旬までは電話をかけるとコール音がしていたが、後に「お客様の都合で」とアナウンスが流れるようになり、自宅内で携帯電話請求書を発見した兄が料金を支払った[出典無効]。未納の家賃は兄が支払い、さらに奥山が戻ってくることを考えて7月まで賃貸契約を続けていたが、その後は兄が荷物を引き取って賃貸マンションは解約された。 6月に奥山に似た水死体が横浜港で見つかり、確認作業が行われたが、そのときは別人と判明した。 5月に捜索願が出されてから9月まで奥山の失踪は身内と仲間のみが知ることだったが、9月13日発売の『週刊女性』2011年9月27日号が奥山の失踪を伝える記事を掲載し、ワイドショーやスポーツ紙などが一斉に後追いで報じていった。 9月24日、東京都八王子市のスーパーマーケットの警備員が8月28日と31日に奥山を見かけたという証言が報道された。普段は常連客が多い店に、見かけない客が来たので記憶していたという 。さらに八王子市内では複数の公園のベンチで目撃情報がテレビで報じられた。なお、奧山は八王子市にゆかりはない。これらの目撃情報について、実兄は警察の担当者から「報道を見て思い込みもあるのでしょう」と言われたという。 かつての仕事仲間だった武藤まき子は、最後に電話で話したときは「仕事はボチボチで母親の介護もあるから」と言っていたという。
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