失踪と起訴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 13:37 UTC 版)
「2014年ウクライナ騒乱」の記事における「失踪と起訴」の解説
議会が暫定政権に権力を移す手続きを行った後、プションカ検事総長とオレクサンドル・クリーメンコ大臣はウクライナからロシアへ逃れようとしている。州境警備隊によると、ヤヌコーヴィチ大統領はドネツィクからのチャーター便で逃亡を試みるも、国境警備隊で立ち止めを受けた。警備員は通関手続きなしで飛行するためにお金を出した武装勢力のグループの一人だと思ったという。ヤヌコーヴィチは装甲車に乗せられたあとに行方がわからなくなった。ザクハルチェンコ元内務大臣もドネツィクから逃亡を試みようとしたが、行われることは無かった。 2月23日、代理議長オレグ・リャシュコはヤヌコーヴィチがセヴァストーポリのロシア海軍基地からロシア軍艦に乗り込んで逃げようとしていると主張した。ジャーナリストのテチアナ・チョルノヴォル(英語版)はセヴァストーポリの民間船から実際に逃亡を試みようとしていると推測している。ボディーガードが法廷で行った証言によると、ヤヌコーヴィチとその家族はハルキウからドネツィクにヘリコプターで出発し、そこからベルジャーンシクからアゾフ海に向けて車で出発、クリミアのヤルタにあるロシアの2つの離着陸場を経由、セヴァストーポリに移り、2月23日にロシアへ逃亡したという。 2月24日、アバコフ内務大臣はヤヌコーヴィチを指名手配中のリストに掲載し、ヤヌコーヴィチやその関係者により多くの一般人の殺戮に至る事件が発生したと発表した。 2月25日、2013年11月21日から2014年2月22日までの市民の平和的な抗議の間に生じた人道に対する罪のため、議会は国際刑事裁判所にヤヌコーヴィチを含む当局者を裁判にかけるよう求めた。同日、ヤヌコーヴィチとザクハルチェンコは国際指名手配された。 刑事訴訟の手続きは2月20日、ユーロマイダンのデモ参加者に対する殺人から始まった。ヤヌコーヴィチ元大統領、アンドリー・クリュイェフ元大統領府長官、プションカ元検事総長、ザクハルチェンコ元内務大臣、ヤキーメンコ元保安庁官、スタニスラフ・シュリアク元国内軍指揮官を含む多数の当局者が容疑者であると宣告された。
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