失踪と後日談
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/24 05:37 UTC 版)
1994年、秋篠らJフォースは、当時企画担当者として個人契約を結んでいた桑名真吾が立案したシミュレーションRPGをセガに売り込み、その制作に取り組んでいた。しかし開発途中で秋篠は突然失踪しJフォースは倒産。給料の未払いがあったほか、会社が負担すべき厚生年金、各種社会保険の保険料はいずれも未納で、のちに全額の請求が元社員に届くことになった。 これにより中止されるかに見えたゲーム開発はセガが引き継ぐこととなり、開発主要スタッフ(秋篠失踪後も数か月間、無給で働いていた)はセガ社内で製作を続行できたが結局完成を見ることなく作業を中断、桑名真吾らが設立したアイディアファクトリーに合流し『スペクトラルフォース』の製作を任されることとなった。 再度存続の危機に陥ったゲーム開発だが、残された作業を阪神大震災で住む場所を失ったセガ関西支社のスタッフが完成させ、1996年、『ドラゴンフォース』(セガサターン)として日の目を見ることができた。 その後も秋篠の消息は絶えたままである。
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