失踪した日の行動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 16:04 UTC 版)
「ベンジャミン・バサースト (外交官)」の記事における「失踪した日の行動」の解説
25日の午前中にも後をつけられている、自身の運命を嘆き悲しむ、クラウゼの裏切りを疑うなど不安定な状態が続いた。同日の正午ごろ、ベルリンとハンブルクの中間に位置するペルレベルク(英語版)に到着した。そこの駅家で次の駅家があるレンツェン(英語版)まで向かうための馬車馬を替えるよう命じ、自身は約100ペース先の「白鳥」(Zum weißen Schwan)というインで早めの晩餐をとった。 15時ごろ/17時ごろ、バサーストはペルレベルクの駐留軍の指揮官フォン・クリッツィング大尉(von Klitzing、「クリンツィング」(Klintzing)とも)と話し、自身がハンブルクへの道中の旅人であり、命を狙われていると確信していると述べ、自身の住むインに護衛をつけてくれないかと質問した。このときのバサーストは出されたティーカップも持ちあげられないほど震えており、クリッツィングはバサーストの憂慮を一笑に付したものの、護衛を2人つけることには同意した。護衛を連れて「白鳥」に戻ったバサーストはナポレオンのスパイを避けるために夜に出発することを決めた。バサーストが再びクラウゼに疑いの目を向けたため、クラウゼは持っている外交文書を燃やしてはどうかと提案し、バサーストはそれを受け入れ、クラウゼに感謝の言葉を述べて彼を疑わなくなった。 19時/20時ごろ、バサーストは護衛を解散させ、21時までに馬の準備を整えるよう命じた。その後、クラウゼが支払いを済ませた一方、バサーストは自身の旅行鞄が馬車の中に置かれた後、馬車を回り込み、横道に入った。このときは11月末であり、日没が16時ごろで17時までには辺りが暗くなっており、「白鳥」の主人は支払いの処理でクラウゼと話していたため、誰もバサーストの行動に注目しなかった。 15分後、御者、「白鳥」の主人とボーイ、クラウゼとヒルベルトが準備を整え、バサーストが来て出発するのを待ったが、バサーストは現れなかった。
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