失跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/21 09:30 UTC 版)
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失跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 09:16 UTC 版)
単独航海をしていた船舶がいつまで待っても目的地に現れずに忽然と姿を消してしまう事案は古来軍民を問わず時々発生しており、中にはそれきり再発見に至らない事例がある。天候・海象により遭難したとの推定がなされることが多いが、いずれも原因不明である。 代表的な事例 畝傍(日本・防護巡洋艦) - 1886年12月、乗艦者90名フランスで建造され日本へ回航中、シンガポール発後に消息を絶つ。 原因は諸説あるが、南シナ海で荒天により転覆沈没したとの説が有力である。 後に本艦喪失の保険金により代艦として「千代田」が建造された。 プロテウス級給炭艦 1番艦「プロテウス」、2番艦「ネレウス」、4番艦「サイクロプス」(アメリカ・給炭艦)プロテウスは1941年11月に、ネレウスは1941年12月に、サイクロプスは1918年3月にそれぞれ消息を絶っている。 荒天遭遇説、船体欠陥説、二度の大戦における交戦国であったドイツ艦艇による被攻撃説や被拿捕説のいずれも戦後の調査によって否定され、他にはドイツへの寝返り説なども唱えられているが、手掛かりは皆無である。 なお、3番艦「ジュピター」は航空母艦への改装を受け、「ラングレー」となった。 「畝傍」と「プロテウス級給炭艦」3隻の失跡事案は海事史上のミステリーとして名高い。
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