太った女
作者永田玄
収載図書66 STORIES
出版社アーティストハウスパブリッシャーズ
刊行年月2003.4
太った女
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 14:23 UTC 版)
「1977-1978シーズンのNBA」の記事における「太った女」の解説
ワシントン・ブレッツにとって1968年は特別な年となった。この年のドラフトでウェス・アンセルドとエルヴィン・ヘイズがNBA入りを果たしたのである。ブレッツ(当時はボルチモア・ブレッツ)に入団したアンセルドはチームを大躍進させ、チーム史上初の勝率5割以上となる57勝を記録し、アンセルドはルーキーにしてMVPに選ばれた。ブレッツは一躍強豪チームの仲間入りを果たしたが、プレーオフでは毎年のようにニューヨーク・ニックスの前に敗れていた。1971年のプレーオフでは宿敵ニックスを破って初のファイナルに進出するが、ファイナルではカリーム・アブドゥル=ジャバー率いるミルウォーキー・バックスの前に敗退する。このシーズンの後、アンセルドと共にチームの主力を担っていたアール・モンローやジャック・マリンが相次いでチームを離れ、チーム成績は低迷し、プレーオフでは再びニックスに敗れる日々が続くようになる。大黒柱のアンセルドも故障を抱えるようになり、ブレッツはこのまま没落するかに見えたが、1972年にエルヴィン・ヘイズがブレッツに合流し、チームの新たなエースとなると、ブレッツは再び上昇気流に乗った。1974-75シーズンにはチーム記録となる60勝を記録し、2度目のファイナル進出を果たしたが、今度はゴールデンステート・ウォリアーズの前に破れ、優勝は叶わなかった。1970年代後半になるとヒューストン・ロケッツやクリーブランド・キャバリアーズなどの新興チームが台頭し始め、ブレッツはプレーオフで勝てなくなった。 1970年代後半のリーグは思い切ったチーム改革を敢行したチームや若いチームが成功するようになっていた。1975年のファイナルでブレッツを破ったウォリアーズは、シーズン前に長年ウォリアーズを支えてきたネイト・サーモンドを放出していた。またその翌シーズンファイナルに進出したフェニックス・サンズ、さらに次のシーズンに優勝したポートランド・トレイルブレイザーズはいずれもシーズン前にチームの若返りを図り、そのシーズンでいきなり大きな成功を収めていた。ブレッツはこのシーズン前にボブ・ダンドリッジを獲得し、またミッチ・カプチャックやケヴィン・グレヴィら若手選手が大きな成長を見せていたが、チームの軸であるエルヴィン・ヘイズとウェス・アンセルドの二枚看板体制は6シーズン目を迎えており、ヘイズ、アンセルド、ダンドリッジはいずれも30歳を越えたベテラン選手だった。リーグの流れと逆行していたブレッツは、このシーズンにはさらに成績を落とし、44勝38敗の成績だった。それでも第3シードを手に入れたブレッツはプレーオフ1回戦でアトランタ・ホークスを破ると、カンファレンス準決勝では上位シードのサンアントニオ・スパーズを降し、カンファレンス決勝に進出した。スパーズとの第6戦では、スパーズのマイク・ゲイルが彼のユニフォームを紛失してしまい、仕方なくブレッツのユニフォームを借りて、裏返しで着用しプレイするという珍事が発生している。 チームがプレーオフを勝ち進むにつれ、ブレッツのヘッドコーチであるディック・モッタは口癖のように「オペラは太った女が歌うまで終わらない」と繰り返し言うようになった。これは「勝負は最後まで分からない」ことを名ソリスト(=太った女性ソリスト)が劇を締めくくるオペラに例えたアメリカの俗語であり、またブレッツのメンバーに「太った女性」になることを望んだのである。そしてカンファレンス決勝では前季イースト覇者のフィラデルフィア・76ersと対決。3勝2敗とリードした第6戦、99-99の同点からウェス・アンセルドが決勝点となるティップショットを捻じ込み、101-99で勝利したブレッツがファイナル進出を決めた。 西から勝ち上がってきたのはシアトル・スーパーソニックスである。ソニックスはスター不在のチームであり、生え抜きのフレッド・ブラウン、このシーズンからソニックスに加わったガス・ウィリアムス、2年目のデニス・ジョンソンら、若手とベテランがバランスよく配置されたチームだった。彼らはファンやメディアから「ゴールディロックスと3匹のくま(Goldilocks and the Three Bears)」と呼ばれた。シーズン序盤は5勝17敗と大きく負け越したため、チームはボブ・ホプキンスからレニー・ウィルケンズにヘッドコーチを交代させた。選手時代のウィルケンズはソニックス最初のスター選手であり、また1969年からは選手兼コーチとしてチームを率いた、ソニックス隆盛の最大の立役者だった人物である。ソニックスのコーチに6年ぶりに復帰したウィルケンズはチームのディフェンス力向上に努め、ウィルケンズ就任後は42勝18敗と勝率8割を越える好成績を記録した。プレーオフでは第4シードとなったが、シーズン勝率1位だったポートランド・トレイルブレイザーズをカンファレンス準決勝で破って初のカンファレンス決勝進出を果たし、さらにデンバー・ナゲッツも降してチーム史上初のファイナルに進出した。 ファイナルはブレッツ対スーパーソニックスと予想外のカードとなった。当時のNBA全体の人気低迷は著しく、そして上位シード不在のファイナルはファンが期待したものではなかったため、周囲からの注目は決して高くないファイナルだった。しかし地元の熱狂は大きく、ブレッツが本拠地を置くワシントンD.C.は、1942年のワシントン・レッドスキンズ(NFL)以来の優勝に期待を寄せ、ソニックスが本拠地を置くシアトル市にとっては、ソニックスは初のメジャースポーツリーグのチームだった。この年のファイナルはスケジュールの都合上、1-2-2-1-1のフォーマットとなった。
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