大正座の時代
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正確な時期は不明であるが、大正年間、芝居小屋大正座が滋賀県栗太郡草津町二丁目(現在の同県草津市草津2丁目5番23号)に建てられている。これを1924年(大正13年)、映画館に業態を転換、草津での最初の映画館として営業を開始した。同館についての記載があるもっとも古い同時代資料は、1930年(昭和5年)に発行された『日本映画事業総覧 昭和五年版』であり、同書によれば、当時の同館の経営者は鈴木八重三郎、興行系統は日活、観客定員数等は不明である。同書に記載はないが、追って1927年(昭和2年)、草津で2館目の映画館として文榮座(のちの草津グリーン劇場、大字大路井字栄町537番地)が開館している。 同館が立地した二丁目は、かつて草津宿があった地区であり、旧東海道と交差する「本陣小路」と呼ばれた商店街に同館は存在した。草津宿の時代には、田中九蔵本陣(現存せず)があった地域である。東海道本線の駅であり草津線の起点である草津駅の南、駅からみれば「天井川」として知られた草津川の向こう側、すこし離れた旧市街である。文榮座や官庁街があった、鉄道駅に近い大路井地区とは、草津川をくぐる草津川トンネルでつながっていた。 同館は、他地域の映画館同様、集会にも使用されており、1925年(大正14年)2月15日には、日本農民組合(現在の全日本農民組合連合会)滋賀連合会の集会が行われ、1934年(昭和9年)4月21日に立憲民政党の栗太郡支部の総会が行われた記録が残っている。 1942年(昭和17年)、第二次世界大戦による戦時統制が敷かれ、すべての映画が同年2月1日に設立された社団法人映画配給社の配給になり、すべての映画館が紅系・白系の2系統に組み入れられるが、同年に発行された『映画年鑑 昭和十七年版』には、当時の同館の興行系統についての記載はない。当時の同館の経営者は森重タメ、観客定員数は720名である。同館の建物は、和建築の木造二階建であり、「大正座」の看板は正面に木製のものが掲げられており、「常設娯楽殿堂」の文字が貼られていた。
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