大正座の時代とは? わかりやすく解説

大正座の時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/16 14:27 UTC 版)

大正座 (滋賀県)」の記事における「大正座の時代」の解説

正確な時期不明であるが、大正年間芝居小屋大正座滋賀県栗太郡草津町二丁目現在の同県草津市草津2丁目5番23号)に建てられている。これを1924年大正13年)、映画館業態転換草津での最初映画館として営業開始した。同館についての記載があるもっとも古い同時代資料は、1930年昭和5年)に発行された『日本映画事業総覧 昭和年版』であり、同書によれば当時の同館の経営者鈴木八重三郎興行系統日活観客定員数等不明である。同書記載はないが、追って1927年昭和2年)、草津で2館目の映画館として文榮座(のちの草津グリーン劇場大字大路井栄町537番地)が開館している。 同館が立地した二丁目は、かつて草津宿があった地区であり、旧東海道交差する本陣小路」と呼ばれた商店街に同館は存在した草津宿時代には、田中蔵本陣(現存せず)があった地域である。東海道本線の駅であり草津線起点である草津駅の南、駅からみれば「天井川」として知られ草津川向こう側、すこし離れた旧市街である。文榮座官庁街があった、鉄道駅に近い大路井地区とは、草津川をくぐる草津川トンネルつながっていた。 同館は、他地域映画館同様、集会にも使用されており、1925年大正14年2月15日には、日本農民組合現在の全日本農民組合連合会滋賀連合会集会が行われ、1934年昭和9年4月21日立憲民政党栗太郡支部総会が行われた記録残っている。 1942年昭和17年)、第二次世界大戦による戦時統制敷かれすべての映画同年2月1日設立され社団法人映画配給社配給になり、すべての映画館紅系白系2系統組み入れられるが、同年発行された『映画年鑑 昭和十七年版』には、当時の同館の興行系統についての記載はない。当時の同館の経営者森重タメ観客定員数は720名である。同館の建物は、和建築木造二階建であり、「大正座」の看板正面木製のものが掲げられており、「常設娯楽殿堂」の文字が貼られていた。

※この「大正座の時代」の解説は、「大正座 (滋賀県)」の解説の一部です。
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