大住車塚古墳
名称: | 大住車塚古墳 |
ふりがな: | おおすみくるまづかこふん |
種別: | 史跡 |
種別2: | |
都道府県: | 京都府 |
市区町村: | 京田辺市大住 |
管理団体: | |
指定年月日: | 1974.06.11(昭和49.06.11) |
指定基準: | 史1 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | |
解説文: | S49-5-135大住車塚古墳.txt: 南山城、木津川西岸のゆるやかに傾斜する水田地帯にある前方後方墳。全長約65メートル、後方部の幅約35メートル、西北に向いた前方部の幅約18メートル。周囲には、濠のめぐった痕跡があり、その外周は幅約60メートル、長さ約100メートルの長方形を呈している。墳丘部には、葺石が確認されている。主体部は未調査である。 |
大住車塚古墳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/08 09:56 UTC 版)
大住車塚古墳 | |
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所在地 | 京都府京田辺市大住八王寺 |
位置 | 北緯34度50分17.7秒 東経135度44分38.9秒 / 北緯34.838250度 東経135.744139度 |
形状 | 前方後方墳 |
規模 | 全長:66メートル(前方部:幅18メートル・高さ1.5メートル、後方部:一辺の長さ36メートル・高さ4.5メートル) |
築造時期 | 5世紀初期(古墳時代中期) |
史跡 |
国の史跡「大住車塚古墳」 (「綴喜古墳群」に包含) |
地図 |
大住車塚古墳(おおすみくるまづかこふん、智光寺山古墳)は、 京都府京田辺市大住八王寺にある古墳。形状は前方後方墳。国の史跡に指定されている(史跡「綴喜古墳群」のうち)。
概要
5世紀初期(古墳時代中期)に作られた前方後方墳である[1]。2段築成で、葺石・埴輪を備えている[2]。長方形の周濠が存在していたと考えられており、主体部(埋葬施設)には、粘土槨あるいは竪穴式石室があったとみられる。西には形や大きさが同じ大住南塚古墳もあるため、周濠のある前方後方墳が2基並んで存在していることになり、これは全国的にも珍しい[1]。
継体天皇の第8皇子の陵であるとする説が存在するが、これは「椿井文書」を由来とする偽りの伝承であると考えられている[3]。
文化財
国の史跡
- 大住車塚古墳(史跡「綴喜古墳群」のうち)
交通アクセス
脚注
- ^ a b “大住車塚古墳 | 遺跡 | 京たなべ まるごと検索! | 京田辺市観光協会 公式サイト”. kyotana.be. 2020年12月8日閲覧。
- ^ “大住車塚古墳 - 古墳マップ”. kofun.info. 2020年12月8日閲覧。
- ^ 『筒城宮遷都1500年記念シンポジウム資料集』(京田辺市教育委員会 、2011年)
- ^ 大住車塚古墳 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 指定文化財一覧(京田辺市)
- ^ 令和4年11月10日文部科学省告示第143号。
- ^ “大住車塚古墳|観光スポット|お茶の京都|京都府南部の観光情報サイト(お茶の京都DMO)”. お茶の京都|京都府南部の観光情報サイト(お茶の京都DMO). 2020年12月8日閲覧。
外部リンク
座標: 北緯34度50分17.7秒 東経135度44分38.9秒 / 北緯34.838250度 東経135.744139度
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