境ろう学校の人々
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/14 00:09 UTC 版)
宮井 信夫(みやい のぶお) 聴覚障害と知的障害を併せ持つ重複障害児。1973年に「ひまわり組」入学。 自閉傾向が強く、激しい自傷行為を行っていた。また他の児童よりも排泄を始め発達が遅く、親や教師に焦りや苛立ちを感じさせた。 母親と二人暮らしだったが駅の階段の昇降時に信夫が転落しそうになったのをかばって骨折をした母親が入院したため寄宿舎に入れられ生活全般から見直すことによって次第に改善していった。また、排泄ができるようになってからは問題行動は減り、高等部のときには三田先生の結婚に伴う別離を理解し感謝を手話で伝えるまでになった。 阪本 みどり(さかもと みどり) 「ひまわり組」児童(信夫と同い年)。聴覚障害と知的障害を併せ持つ重複障害児。 明るく表情豊かな少女で走ることが得意。味覚が鋭敏なためか偏食が激しかったが、母親の努力によって偏食は軽減された。 山田 翔(やまだ しょう) 「ひまわり組」児童(信夫と同い年)。聴覚障害と知的障害を併せ持つ重複障害児。 翔の家族は団地に住んでおり、翔が起こす問題行動のために近所との関係は良くなかったが、子供会のキャンプの際、初めて見る海に喜ぶ翔の姿を見て近所の人々も心を改めるようになった。 斉藤 ゆり子(さいとう ゆりこ) 「ひまわり組」児童(信夫たちの1学年下※複式学級なので学級は同じ)。聴覚障害と知的障害を併せ持つ重複障害児。 自閉傾向が強く、『ドラえもん』の絵以外には興味を示さなかったが、塩見先生との出会いと別れを通して「感情」を理解するようになる。 島 祐太(しま ゆうた) 聴覚障害児。「ひまわり組」ではない。 最初は健常者とともに草野球に参加するなど明るい子供であったが、クラクションの音が聞こえず交通事故に遭い、左足が不自由になる。 それ以降はろう学校でも他の児童との間で不和を起こすことがあった。 早野先生 「ひまわり組」担任。第2巻以降における語り手。 入学したてのゆり子の興味を引こうと自らのエプロンにドラえもんのアップリケを何枚も貼り付けた。後に「どんぐり」所長になる。 三田先生 「ひまわり組」副担任。独身の若い女性教員。心を開かない信夫の指導に心血を注ぐ。後に結婚退職した。 塩見先生 1977年(昭和52年)に赴任してきた図工の先生。顔が野比のび太にそっくりなため、ゆり子に好かれる。実家の父親が倒れ、家業を継ぐため退職した。 野中先生 境ろう学校寄宿舎の寮母。「私達の仕事は生活指導を通して子供の発達に関わっていく寄宿舎教育だ」が持論で、母親の入院で寄宿舎に入ってきた信夫のことを自分の最後の仕事と思い指導に励む。 実は彼女には知的障害者の兄がいたが、山奥の施設に隔離されており、兄の存在を知らされたのは彼女が8歳の時であった。
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