埋立て地での基地建設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 04:20 UTC 版)
1960年代後半、アメリカ占領下の沖縄が日本復帰するという現実味を増す中、離島苦解消や財政強化を目指した当時の与那城村は企業誘致を進めていた。1969年(昭和44年)3月、村議会は三菱商事に平安座島と宮城島間の海域の埋立て事業を要請した。1970年(昭和45年)5月に三菱商事を中心とした企業団が来沖し調査を行ったが、工業用水と電力の調達が困難であるとした。その際、CTS建設も検討され、三菱石油にも協力を依頼した。三菱商事との折衝役を引き継いだ三菱開発より埋立て計画を決定し、1971年(昭和46年)4月28日に与那城村と覚書を締結、翌月の5月15日に琉球政府へ公有水面埋立て免許の申請を行った。また琉球政府の行政指導により、外資導入免許の取得を条件に事業主体を与那城村から新会社の「沖縄三菱開発」(以下「沖縄三菱」)へ移行した。しかし反対派の立法院議員らの圧力により、申請許可が下りない状態が続いた。沖縄三菱と誘致賛成派の村議員らと共に懇願し、1972年(昭和47年)5月9日にようやく認可された。 本土復帰後の1972年10月15日に埋立て工事の着工を行い、計画では2年後の1974年(昭和49年)12月までに貯蔵タンクとシーバースを含めた施設建造を完了させる予定であった。しかしこの頃、隣接するガルフ社の製油所から漏洩した原油が流出し、近海が汚染されるなどの公害問題が深刻化し、これらの事故を機に1973年からCTS建設反対派の運動が激化する。1974年4月30日に埋立て工事は完了し、同日に竣工認可を沖縄県へ申請した。1975年(昭和50年)10月4日にCTS竣工は許可され、その後埋立て地の所有権登記を行い、与那城村へ編入された。1980年(昭和55年)3月6日に貯蔵タンク等の石油関連施設は完工し、同月12日に操業した。 1973年(昭和48年)4月27日に三菱石油(現・JXTGエネルギー)と丸善石油(現・コスモ石油)の合同出資により、「沖縄石油基地株式会社」を設立した。2010年12月1日現在、原油貯蔵タンク45基(計約450万キロリットル)を有し、鹿児島県の喜入基地に次ぐ大規模な石油基地となる。
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