埋立に対する漁協の対応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/06 07:45 UTC 版)
1956年に埋立てと根岸線誘致をセットとする埋立事業計画が具体化した。ところが、この計画は事前に地元の漁業関係者とは協議されていなかったため、寝耳に水の漁業組合は猛反発した。1957年に屏風ヶ浦・根岸・本牧の各漁協は埋立反対 期成同盟連合会を結成し、市当局に対して埋立反対の陳情書を提出した。 その後、漁協組は市と討議を重ねた結果、街の発展のために埋立反対をやめ、補償及び組合員の生活対策の交渉へと移っていった。1958年12月、根岸湾埋立補償覚書に調印。1959年1月、根岸湾埋立の漁業補償協定に調印し、根岸湾埋立問題協議会を解散した。1959年2月、根岸中学校で根岸湾埋立事業の起工式を挙行。1965年2月、根岸湾漁協が根岸湾埋立記念碑を根岸駅前に建立した(改札口のすぐ前)。記念碑には以上の経緯が記されている。
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