埋立地の売却とは? わかりやすく解説

埋立地の売却

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/21 04:33 UTC 版)

浅野埋立」の記事における「埋立地の売却」の解説

浅野総一郎昭和5年1930年11月9日死去すると、浅野泰治郎財閥総帥となり、東京湾埋立社長兼務した。同年上期に三坪を昭和肥料に、五千坪を早山与三郎(早山石油社長)に売却したが、下期には四千坪しか売れなかったので無配になった昭和6年1931年11月末に五十坪の埋立地売れ残っていた。昭和7年1932年上期には埋立地がほとんど売れず赤字転落した昭和8年1933年以降景気回復により、浅野造船所日本鋼管早山石油三菱石油日本石油京浜コークス日本タンカー埋立地売ったが、小面積の売却ばかりで赤字抜け出すのがやっとだった。昭和10年1935年)に、日本フォード十一購入申し入れてきたが、浅野良三浅野泰治郎の弟)が陸軍呼び出されて「神国日本の国の一部アメリカに売るとはまかりならん」と売買中止勧告された。フォード日本人雇用して自動車技術提供してくれるし、戦争になって工場日本に残るから国益になると、浅野良三反論した聞き入れられなかった。さらに商工省もこの売却反対した。その時たまたま陸軍大臣満州赴いたので、帰国まで売却しないよう陸軍大臣商工大臣正式な通達出した。ところが陸軍大臣満州から帰国すると、7月24日浅野良三陸軍商工省無断売買契約締結して陸軍激怒させた。NHK浅野良三行為国際関係改善意図したもの解釈しているが、東亜建設工業東京湾埋立後身)は経営改善の為と考えている。昭和14年1939年)ごろには、日本鋼管鉄道省三井物産住友合資会社日本電力東京電燈日清製粉ライジングサン石油・スタンダードヴァキューム石油日本石油東京瓦斯浅野造船所京浜コークス芝浦製作所旭硝子三菱石油三菱鉱業昭和肥料早山石油日本タンカー・旭石油東京中山鋼業・化工機製作所日本鋳造東京製鉄鶴見窯業愛国石油自動車工業日本フォード日本漁網船具内外石油日満倉庫徳永硝子製造所東京湾埋立がこの埋立地立地して大きな工業地帯形成したこのように浅野埋立京浜工業地帯元になったので、浅野総一郎は「京浜工業地帯の父」と呼ばれている。

※この「埋立地の売却」の解説は、「浅野埋立」の解説の一部です。
「埋立地の売却」を含む「浅野埋立」の記事については、「浅野埋立」の概要を参照ください。

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