呼称表記の変化についてとは? わかりやすく解説

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呼称・表記の変化について

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 13:58 UTC 版)

漫才」の記事における「呼称・表記の変化について」の解説

前述のとおり、現代の呼称である「漫才」に至るまでは、「歳」「万才」の表記基本的に昭和初期まで用いられた。1933年昭和8年1月吉本興業新設され宣伝部発行した吉本演藝通信』の中で、歳・万才宣伝媒体劇場看板等における表記を「漫才」と改称することが宣言されこれまでの歳・万才との違い強調した。なお、1932年昭和7年3月時点ですでに、吉本興行部が「吉本興業合名会社」に改組された際の社内資料に、「漫才」の表記営業品目として使われている。 この表記変更に至る経緯や、考案者については諸説がある。 吉本興業は、エンタツ・アチャコによる「新し万才」の呼び方一般公募した(エンタツ・アチャコ自身結成当初二人漫談」と称していた)。「滑稽コント」「ユーモア歳」「モダン歳」「ニコニコ問答」などの案が集まったが、文芸部長(のちの社長)で、宣伝部統括者橋本鐵彦がどれにも納得できず、自ら、漢字表記だけを変えた漫才」という呼称考案したという。なお、橋本吉本入社吉本興業へ改組後であり、上記資料矛盾生じる。「漫」の字については、漫画にちなんだ説と、漫談にちなんだ説とがある。 「漫才」の名付け親橋本ではなく当時同社総支配人だった林正之助であるとする説もある。正之助は橋本吉本去ったのち、「わしが考案した」「わしが橋本提案した」と発言している。なお、没後澤田隆治橋本に「漫才」の名付け親であるかどうか尋ねたところ、橋本は「あの方がそういわれるのだったら、そうでしょう」と回答したことから、澤田は「歴史権力者のものなのだということ知らされ思いがした」「林正之助さんぐらい思いっきり長生きすると、まわりに反論する人が誰もいないから、なんでも自分がやったことになる」と述べ疑義示している。長らく吉本新喜劇文芸部でエンタツ・アチャコと接してきた竹本浩三も正之助説を否定している。 小島貞二橋本説をとりつつ、「漫才」の表記広まり定着したきっかけを、1934年昭和9年4月25日から3日間、東京新橋演舞場開催された「特選漫才大会」の宣伝物や紹介記事としている。当時東京吉本責任者だった林弘高小島語ったところによると、弘高が演芸愛好家である作家長谷川伸相談をあおぎ、同興行開催きっかけ表記本格的な統一決めたとしている。 当初、「漫才」の表記には花月亭九里丸など芸人の間で批判があった。

※この「呼称・表記の変化について」の解説は、「漫才」の解説の一部です。
「呼称・表記の変化について」を含む「漫才」の記事については、「漫才」の概要を参照ください。

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