吉見百穴ヒカリゴケ発生地とは? わかりやすく解説

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吉見百穴ヒカリゴケ発生地

名称: 吉見百穴ヒカリゴケ発生地
ふりがな よしみひゃくあなひかりごけはっせいち
種別 天然記念物
種別2:
都道府県 埼玉県
市区町村 比企郡吉見町
管理団体 吉見町(昭4・610)
指定年月日 1928.11.30(昭和3.11.30)
指定基準 植7
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 天然紀念物調査報告植物之部)第九輯 二五頁 参照
光蘚百穴ノ一ニ発生シ盛ニ光輝ヲ放ツ由来光蘚本邦中部以北山地ニノミ知ラレタルガ斯ク関東平野発生スルハ同植物分布上著シキ事実ニ属ス
史跡名勝記念物のほかの用語一覧
天然記念物:  古見のサキシマスオウノキ群落  古長禅寺のビャクシン  吉田胎内樹型  吉見百穴ヒカリゴケ発生地  吉部の大岩郷  名古屋城のカヤ  名寄鈴石

吉見百穴ヒカリゴケ発生地

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/03 08:31 UTC 版)

吉見百穴ヒカリゴケ発生地。2022年6月13日撮影。

吉見百穴ヒカリゴケ発生地(よしみひゃくあなヒカリゴケはっせいち)は、埼玉県比企郡吉見町北吉見にある、国の天然記念物に指定されたヒカリゴケ(光蘚)の自生地である[1]

ヒカリゴケ(光蘚 学名Schistostega pennata (Hedw.) F.Weber et D.Mohr[2])は、ヒカリゴケ科ヒカリゴケ属の原始的なコケ植物で、直射日光の乏しい洞窟石垣の隙間などに生育して黄緑色に光るコケであるが、かつては標高の高い比較的寒冷な地域に生育するものと考えられていた。この吉見百穴のヒカリゴケは関東平野低地でも自生することが1916年大正5年)に確認され、1928年昭和3年)11月30日に国の天然記念物に指定された[1][3][4][5]

天然記念物に指定された当時は、関東平野の標高約20メートルという非常に低い標高地点に生育していることが指定理由とされていたが、後年になり東京都心千鳥ヶ淵に面した石垣の隙間からも発見された[3][6]。なお、本記事で解説する「吉見百穴ヒカリゴケ発生地」は国の天然記念物として指定されているものであり、国の史跡として1923年(大正12年)に指定された同所にある吉見百穴とは別個の記念物物件である[7]

解説

吉見百穴
ヒカリゴケ
発生地
吉見百穴ヒカリゴケ発生地の位置
吉見百穴ヒカリゴケ発生地。2022年6月13日撮影。

吉見百穴ヒカリゴケ発生地として国の天然記念物に指定されているのは、埼玉県のほぼ中央部に位置する比企郡吉見町にある横穴墓群として知られる、国の史跡に指定された吉見百穴の傾斜面にある横穴のうち、最も北側の地表付近に所在する数個の横穴である[8]

日本国内におけるヒカリゴケの生育は、1910年明治43年)に長野県岩村田町(現、佐久市)で確認されたのが最初で、この場所は岩村田ヒカリゴケ産地として1921年大正10年)に国の天然記念物に指定された[5][9]。ヒカリゴケは寒冷な気象条件を持つ、比較的標高の高い場所に生育するものと考えられていたが、1916年(大正5年)の11月23日に、吉見百穴を訪れた当時の熊谷農学校(現埼玉県立熊谷農業高等学校)教諭の角田勝彌により[† 1]、数個の横穴の中から光るコケが発生しているのが発見された[10]

吉見百穴の所在地は、外秩父から埼玉県中部かけて広がる比企丘陵と呼ばれる丘陵群の先端部にあたる吉見丘陵西縁の斜面にあり、ヒカリゴケの自生が確認された横穴は、市野川左岸の沖積低地に接した斜面最下部の標高約20メートルに位置している。天然記念物の指定に先立ち1928年昭和3年)9月20日に、当時の文部省により現地調査が行われ、ヒカリゴケの自生が確認されたのは横穴群の最も北側の斜面最下部にある1つの横穴であった[10]。この横穴の規模は、丘陵斜面の外面から玄室(げんしつ、を安置する場所)と呼ばれる最奥部までの長さ11.5(約3.5メートル)、玄室の幅約8尺(約2.4メートル)、玄室の高さ約5尺(約1.5メートル)であった[11]。調査当日(9月20日)の天候は晴天で、午前9時40分に測定した横穴の外部気温摂氏 24 °C、玄室の地表面は 21 °Cで、ヒカリゴケは横穴の奥、右方向の床面に鮮明な光を放っていたという[12]。前述のとおり、従来は主に高地に生育すると考えられていたヒカリゴケが、関東平野の標高の低い場所で生育することが、植物分布上貴重であるとして[13]、調査から約2か月後の同年11月30日に「吉見百穴光蘚発生地[12]」として国の天然記念物に指定された[1][3][4][5][14]

太平洋戦争の末期、吉見百穴の地下に中島飛行機の地下軍需工場を建設するため複数の横穴が掘削された際、植物学者本田正次も現地へ連れていかれ、ヒカリゴケには手を付けないよう関係者に申し添えたという[4]。本田は後年、1957年(昭和32年)の著書の中で「当時現場にむりやり引っぱり出されたが、その後は行って見ないので大いに心配である。」と述べている[4]。吉見百穴ヒカリゴケ発生地の天然記念物に指定された横穴は、地下軍需工場建設の際にも破壊は免れており、当所ヒカリゴケの発生が確認されていた横穴に隣接した別の横穴からも発生が確認され、1979年(昭和54年)1月の調査では、さらに別の3つの横穴からも発生が確認された[3]。ただし、いずれも量的には少なく、周辺一帯の都市化に伴い大気汚染乾燥化が進んでいるため、生態学者で日本蘚苔類学会会長の永野巌は[15][16]、より一層の保護対策を図ることが望ましいと指摘している[3]

交通アクセス

所在地
  • 埼玉県比企郡吉見町北吉見324[17]
交通

脚注

注釈

  1. ^ 現地に設置された解説版によれば「岸勝弥氏」発見とされている。ここでは三好 (1929, p. 25)に記された角田勝彌と記載する。

出典

  1. ^ a b c 吉見百穴ヒカリゴケ発生地(国指定文化財等データベース) 文化庁ウェブサイト、2022年6月22日閲覧。
  2. ^ 中庭 (1984), p. 189.
  3. ^ a b c d e 永野巌 著、講談社 編 (1995), p. 602
  4. ^ a b c d 本田 (1957), pp. 8–9.
  5. ^ a b c 本田 (1971), p. 79.
  6. ^ 岩月 (1977), p. 65.
  7. ^ 吉見百穴(国指定文化財等データベース) 文化庁ウェブサイト、2022年6月22日閲覧。
  8. ^ 講談社 編 (1995), pp. 600–601.
  9. ^ 和田清 著、講談社 編 (1995), p. 603
  10. ^ a b 三好 (1929), p. 25.
  11. ^ 三好 (1929), p. 26.
  12. ^ a b 三好 (1929), p. 27.
  13. ^ 埼玉県 (1933)、4-5コマ目。
  14. ^ 内務省告示第三百十四號」『官報』第578号、内閣印刷局、645頁、1928年11月30日https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2957043/1 
  15. ^ 水島うらら「若き日の永野巌博士の思い出」『日本蘚苔類学会会報』第6巻第7号、日本蘚苔類学会会報、1995年、145-146頁、doi:10.24474/koke.6.7_1452022年6月27日閲覧 
  16. ^ 永野巌 KAKEN 研究者を探す KAKEN科学研究費助成事業データベース、2022年6月22日閲覧。
  17. ^ a b c d e 吉見百穴/ヒカリゴケ 吉見町役場ホームページ。2022年6月22日閲覧。

参考文献・資料

関連項目

  • 国の天然記念物に指定された他のコケ類は植物天然記念物一覧#コケ植物節を参照。
    • コケ植物を対象とした国指定の天然記念物は、ミズスギゴケ1件、ヒカリゴケ3件、チャツボミゴケ1件、以上5件のみである。

外部リンク

座標: 北緯36度2分22.9秒 東経139度25分16.5秒 / 北緯36.039694度 東経139.421250度 / 36.039694; 139.421250



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