比企丘陵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/08 16:30 UTC 版)
比企丘陵(ひききゅうりょう)は、広義には関東地方のほぼ中央部の埼玉県に位置する丘陵地帯[1]。秩父山地に沿って関東平野の東縁に広がる丘陵の一つである[2]。都幾川低地を境に比企北丘陵(北比企丘陵)と比企南丘陵(南比企丘陵、岩殿丘陵)に大別され[1][3]、単に比企丘陵というときは前者を指すこともある[3]。
比企北丘陵
地理

埼玉県寄居町、滑川町、小川町、嵐山町にまたがる丘陵である[4]。
比企地方の北側を東西に延びており、おおむね市ノ川の北側一帯の丘陵地帯を指す。西は嵐山町の関越自動車道嵐山パーキングエリア付近、東は東松山市の埼玉県道66号行田東松山線に囲まれた範囲と細長い。西側は東松山台地を挟んで外秩父山地から東方に半島状に突き出しており、東側は吉見丘陵に連なっている。また丘陵の北側は江南台地、南側は東松山台地となっている。標高はおおむね100m前後で二ノ宮山(標高132m)を最高地点に、大立山(標高113m)、高根山(標高105m)などの山が存在する。
丘陵内では国営武蔵丘陵森林公園を中心にゴルフ場などのレジャー施設や、花見台工業団地などが点在している。
観光
- 国営武蔵丘陵森林公園
- 二ノ宮山展望台
比企南丘陵
埼玉県越生町、玉川村、鳩山村、東松山市にまたがる丘陵である[4]。鳩山町周辺などでは岩殿丘陵と呼ばれ、物見山丘陵の別名もある[2]。物見山(標高135m)があり「比企丘陵の最高峰」と紹介されることもある[5]。
脚注
- ^ a b 石坂 健彦「植生管理下における二次林の群落構造の立地間差異について」『造園雑誌』第50巻第5号、日本造園学会、102-107頁。
- ^ a b 「天神台東遺跡」『埼玉県埋蔵文化財調査事業団報告書』第404巻、2013年3月25日。
- ^ a b 「関越自動車道関係 埋蔵文化財発掘調査報告 XII 中郷」『埼玉県埋蔵文化財調査事業団報告書』第13巻、1982年。
- ^ a b 中島 紀一「地形・土壌立地と畑作農法の類型」『筑波大学農林社会経済研究』第4巻、筑波大学農林学系、1985年3月、27-88頁。
- ^ “物見山岩殿山観音の勝”. 東松山市. 2025年3月8日閲覧。
関連項目
比企丘陵
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比企丘陵は外秩父山地から東方に半島状に突き出した丘陵であり、北部は江南台地、南部は東松山台地、東部は吉見丘陵に接している。丘陵内では、高根山(標高105m)、二宮山(標高132m)、大立山(標高113m)など標高100m前後の山が、丘陵の西半分の地域に散在して突出した地形をつくるが、全体的には100m以下の丘陵地形をつくっている。丘陵内部には、市ノ川・滑川およびその支流による開析が進み、広い谷底と小谷が発達している。この開析谷は、北西 - 南東あるいは南北の方向をもつものが多く、これらの谷頭は丘陵の北側に極端に偏り、分水嶺は丘陵の北縁近くに偏在する。このため、丘陵北縁を東流する和田川の支谷は、未発達となっている。 江南町域においては、高根山から派生する丘陵と、滑川町和泉地区から派生する二つの尾根筋があり、嵐山町とは西側の谷を流れる滑川で区分されている。 本丘陵は、地質学的には新生代第三紀層に相当し、礫岩・砂岩・泥岩・凝灰岩等の互層によって構成されている。層序は、下位より、前期中新世に属する七郷層(凝灰岩質で緑色変質が特徴。層厚830m以上)、中期中新世に属する小園層(粗粒砂岩を主体とし、礫岩・泥岩・凝灰岩を伴う。層厚300m。)、荒川層(砂岩・泥岩の互層で、下部に礫岩を伴う。層厚350m)、土塩層(砂質泥岩を主体とし、砂岩・凝灰岩を伴う。層厚350m)、後期中新世に属する楊井層(礫岩を主体とし、砂岩・凝灰岩を伴う。層厚300m)となり、これらの中新統を不整合に覆って更新世に属する物見山礫層が分布している。
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