吉備津の釜
作者日影丈吉
収載図書浅草ミステリー傑作選
出版社河出書房新社
刊行年月1987.2
シリーズ名河出文庫
収載図書ブラック・ユーモア傑作選
出版社光文社
刊行年月1989.8
シリーズ名光文社文庫
収載図書昭和ミステリー大全集 中巻
出版社新潮社
刊行年月1991.2
シリーズ名新潮文庫
吉備津の釜
吉備津の釜
吉備津の釜
吉備津の釜
吉備津の釜
吉備津の釜
吉備津の釜
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 10:23 UTC 版)
「吉備津の釜」冒頭の妬婦論は、『五雑俎』(五雑組とも)巻八による。吉備国賀夜郡庭妹(現在の岡山市北区庭瀬)に、井沢正太夫というひとがいた。この息子の正太郎というのは、色欲の強い男で、父が止めるのも聞かず、遊び歩いていた。そこで、嫁を迎えて身持ちを固めさせようと、吉備津神社の神主、香央造酒の娘と縁組がまとめられた。幸を祈るために、御釜祓いをすることとなった。これは、釜のお湯が沸きあがるときに、牛が吼えるような音が出たら吉、音が出なかったときは凶、となっていた。はたして、全くなんの音もでなかったので、この婚姻は凶と判断された。このことを香央が自分の妻に伝えると、先方も娘も心待ちにしているのに、この様な不吉なことを公表すれば、どうなるかわからない、ふたりが結婚するのは変えられない、と言い、そのまま縁組は進められた。 この嫁に来た磯良というのは、大変できた女で、家に良く仕え、非の打ち所がなかった。正太郎も磯良のことをよく思っていた。しかし、いつのころからか、外に袖という遊女の愛人をつくり、これとなじみになって、家に帰らなくなった。井沢の父は、全く行動を改めない正太郎を一室に閉じ込めた。磯良は正太郎と袖を厚く世話したが、逆に正太郎は磯良を騙し、金を奪って逐電してしまった。磯良はこのあまりの仕打ちに病気で寝込むようになり、日に日に衰えていった。 一方、袖と駆け落ちした正太郎は、袖の親戚の彦六の厄介となり、彦六の隣の家で仲睦まじく生活した。しかし、袖の様子がおかしい。物の怪にでも憑かれたように、狂おしげだ。これはもしや、磯良の呪い……、と思っているうちに、看病の甲斐なく七日後、袖は死んでしまった。正太郎は悲しみつつも、菩提を弔った。それから正太郎は、夕方に墓参りする生活が続いた。 ある日、いつものように墓にいくと、女がいた。聞くと、仕える家の主人が死に、伏せてしまった奥方の代りに日参しているのだという。美人であるという奥方に興味を持った正太郎は、女に付いていき、奥方と悲しみを分かち合おうと訪問することとなった。小さな茅葺の家のなか、屏風の向うに、その奥方はいた。正太郎がお悔やみのあいさつをすると、屏風から現れたのは、まさしく磯良だった。血の気のないその姿も恐ろしく、正太郎は気絶してしまった。 気づくとそこは、三昧堂だった。慌てて家に帰って彦六に話すと、陰陽師を紹介された。陰陽師は正太郎の体に篆籀を書いて埋め尽くし、今から四十二日間物忌みをし、死にたくなければ必ず一歩も外に出ては行けない、ということを言った。その夜、言われた通り物忌みをしていたところ、女の声がして、「あなにくや。こゝにたふとき符文を設つるよ」と言った。彦六と壁越しにその恐ろしさを語るなどした。そして続く声の恐ろしさを感じながら、やっと四十二日目を迎えた。やがて夜が明けたのを見、彦六は、正太郎を壁越しに呼び寄せると、「あなや」と正太郎の叫び声がする。慌てて外に出てみると、外はまだ真っ暗で、正太郎の家には壁に大きな血のあとが流れており、軒に髻がかかっているのみ。正太郎の行方は分らずじまいだった。このことを伝えられると、井沢も香央も悲しんだ。まこと、陰陽師も、釜の御祓いも、正しい結果を示したものである。
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