古代ギリシアの植民地とは? わかりやすく解説

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古代ギリシアの植民地

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/04/13 14:29 UTC 版)

古代の植民都市」の記事における「古代ギリシアの植民地」の解説

古代ギリシアでは、外敵から逃れるためにもともとの居住地去った敗者植民都市を築くことがあった。時には市民同士が争うような内乱結果敗者新たな都市別の場所に建設することもあった。また、人口過密になった際に内乱未然に防ぐために新たな都市建設することもあった。しかし大多数植民都市建設動機は、遠隔地との交易関係を確立し、母都市ギリシア語ではメトロポリス)の繁栄寄与することだった。トラキアには紀元前8世紀から植民都市建設された。 古代ギリシア30上の都市国家地中海世界全体複数植民都市持っていた。植民都市中でもミレトスは特に栄えた紀元前9世紀後半から紀元前5世紀にかけて約90植民都市地中海沿岸各地にあり、東は黒海沿岸アナトリア半島現在のトルコ)から、西はイベリア半島南岸まで、アフリカ北岸にもいくつかの植民都市があった。 植民都市はアポイキア(ἀποικία)とエンポリア(ἐμπορία)に分類される前者独立した都市国家で、後者交易拠点である。 ギリシア都市国家植民都市建設始めたのは紀元前800年ごろのことで、シリア沿岸アル・ミナナポリ湾に浮かぶイスキア島ピテクサイエンポリア)が最初である。どちらもエウボイア島都市国家を母都市とする。 暗黒時代からアーカイック期にかけて2度ギリシアから海外大量入植者流出した時期があった。最初紀元前8世紀初めで、2度めは紀元前6世紀のことである。人口増加人口過密になったというだけではこれらの大量流出説明できず、都市国家間の競争心からそれぞれの経済圏拡大させるという経済的政治的力学背景にあった見られている。このギリシア膨張によって、地中海沿岸硬貨の使用盛んになった。 有力なギリシア植民都市としては、次の都市挙げられる。 キュメ(英語版クーマエ パルテノペ(母都市:ハルキス/クーマエレギウム(母都市:ハルキスザンクレ紀元前8世紀ごろ) シュラクサイ(母都市:コリントス/テネア、紀元前734年ごろ) ナクソス(母都市:ハルキス紀元前734年ごろ) ビュザンティオン現在のイスタンブール、母都市:メガラ紀元前667年ごろ) ネアポリス現在のナポリパルテノペから新都市開発紀元前6世紀マッサリア現在のマルセイユ、母都市:ポカイア紀元前598年ごろ) エレア(ヴェーリア、母都市:ポカイア/マッサリア紀元前540年ごろ) エンプリオン(現スペイン、母都市:ポカイア/マッサリア紀元前6世紀初め) アンティポリス(現フランス、母都市:アカイアアラリアコルシカ島、母都市:ポカイア/マッサリア紀元前545年ごろ) キュレネ北アフリカ、母都市:ティーラ紀元前762/61年と紀元前632/31年) 新たな植民には厳粛かつ神聖ないくつかの作法があった。ギリシア都市から植民団を送り出すにあたっては、神託(特にデルポイ)を常に参照して日時決めた時にはある階級市民集めて植民団とし、時には息子複数人いる各所帯から男を選んで植民団に入れることもあった。また、余所者植民参加希望している者を入れることもあった。代表者選ばれ植民者誘導様々な手配指揮した植民都市建設者死後英雄として崇められるのが一般的だった聖火植民都市まで持っていき、そこの聖地燃やし続け場合もあった。また、当時は各家庭神殿があったため、そのような信仰持ち込まれた。植民都市建国から数世紀渡って都市大使送り祭礼奉献することを続けた植民都市と母都市メトロポリス)の関係は一種相互信頼と見ることができる。なんらかの見解の相違があったとしても可能な限り平和的に解決図られ戦争最終手段とされた。建国憲章には、植民都市全般に共通の項目と特別な規定含まれていた。母都市の運営方式そのまま適用されることが多かったが、新都市政治的に独立していた。植民都市がさらに別の植民都市建設する場合、母都市相談を受けるのが一般的で、少なくともリーダーを送ることを要請された。ギリシア本土で母都市同盟組織すると、植民都市はその同盟への支持表明したまた、デルポイオリンピアデロス島といった宗教的中心地には植民都市敬意表したコリントスとその植民都市ケルキラの間で起きた論争ペロポネソス戦争原因1つになった点は注目に値するアテナイ政治的独立性を持たない植民都市作っており、これを クレルキー (klêrouchoi) と呼ぶ。その植民者(クレルキー)はアテナイ市民権保持した

※この「古代ギリシアの植民地」の解説は、「古代の植民都市」の解説の一部です。
「古代ギリシアの植民地」を含む「古代の植民都市」の記事については、「古代の植民都市」の概要を参照ください。

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