古代ギリシアの伝承の中のカフラー
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「カフラー」の記事における「古代ギリシアの伝承の中のカフラー」の解説
古代の歴史家マネトはカフラーを「スフィス2世」と呼んでいる。そしてその在位年数を66年としているが、それ以外に彼について何も記していない。 古代ギリシアの歴史家ディオドロスとヘロドトスはカフラーを異端者、冷酷な独裁者として描く。彼らはカフラー(どちらもカフラーの名前から変化した名前、ケフレンと呼んでいる。)は父である誇大妄想の独裁者ケオプス(クフ)の死後王位を継いだとしている。また、ヘロドトスとディオドロスはカフラーが50年統治したとし、貧しいエジプト人達は二人の王の合わせて106年の治世の間苦しまなければならなかったと主張している。 しかしまた、彼らはカフラーの後継者としてメンカウラー(彼等は「ミュケリノス」と呼んでいる)について述べ、この王は二人の前任者のカウンターパートであるとしている。ヘロドトスはメンカウラーについてクフとカフラーの残酷さに悲しみ失望し、平和と善とをエジプトに取り戻したと記述している。 現代のエジプト学者達はヘロドロスとディオドロスの物語は同時代の価値観による一種の中傷であると評価する。ギーザのピラミッド群のような特大の墳墓はギリシア人や、後の新王国時代の神官達をも悪い意味で驚かせたに違いない。なぜならばこれらは必ずや異端のファラオ・アクエンアテンと、その誇大妄想的な建築計画を思い起こさせたからである。この非常にネガティブな人物像は明らかにカフラーと彼の威圧感のあるピラミッドに投影された。このような見解は或いはカフラーの生きた時代、貴重な石で造られた巨大な彫像を作成し公衆の面前に設置することは王にのみ許されていたという事実によって増大されたかもしれない。ギリシア人の著作家と葬儀神官や神殿の神官達は、この壮大なモニュメントについて誇大妄想的な性格の結果とする以上の説明をすることができなかった。これらの見解と事の顛末はギリシア人の歴史家達によって熱心に収集されたので、カフラーについての否定的な評価が構築された。なぜならば、スキャンダラスな物語は聖徳の王について語る(退屈な)物語よりも読み手に好まれたからである。
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