古代ギリシアの原子論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 10:14 UTC 版)
古代ギリシア哲学においては、パルメニデスより後代のソクラテス以前の哲学者たちによって考え始められた。 紀元前5~4世紀、レウキッポスとデモクリトスの一派が、原子論を創始し大成した。彼らの原子論は、一つの総体として「存在する」自然について考えたパルメニデスの存在論の強い影響下にあり、先行するパルメニデスの存在論への応答として考えられたものであった。 レウキッポスとデモクリトスは、自然を構成する分割不可能な最小単位として「アトム(不可分なもの・原子)」が存在すると考え、また原子の存在やその結合分離の運動の説明のため、「ケノン(空なるもの・空虚)」の存在を考えた。一方で、彼らは、生成消滅しない無数の原子と空虚が真に存在し、原子の結合分離が感覚的対象やその生成変化などを生じさせるとした。 ソクラテスとほぼ同時代のデモクリトスらの原子論は、プラトンのイデア論やアリストテレスの第一哲学と対立しつつ、紀元前4~3世紀のヘレニズム期のエピクロスや紀元前1世紀の共和制ローマのルクレティウスに影響を与えて継承される。レウキッポス、デモクリトス、エピクロスの著作は散逸したが、ルクレティウスの著作は、1500年近くの時を跨いで、15世紀のルネサンス期の人文主義者ポッジョ・ブラッチョリーニによって再発見された。
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