原子力防災訓練
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/30 03:05 UTC 版)
「スリーマイル原子力発電所事故に対する東京電力の対応」の記事における「原子力防災訓練」の解説
本事故を教訓に、日本で初めての原子力防災訓練が実施された。 県、東京電力、警察、自衛隊、病院等関係機関多数が参加したが、実施を強く働きかけたのは福島県である。1977年から1983年まで福島県原子力センターに在職していた高倉吉久は「国は立地、設計、施工、運転の全てに責任を持つとの立場から、地方自治体が実施しようとしていた原子力防災訓練には非常に消極的でした」と回顧している。当時福島県としては住民の理解を得るため、机上のプランではなく実際に住民避難を伴った訓練が必要であるとの考えから、丁々発止の交渉を行って国と東京電力を「強引に説き伏せ」たという。 こうして1983年11月30日、初の原子力防災訓練が福島第一原子力発電所を対象に大熊町で実施された。実施時間は午前9時から午後2時半。シナリオは「午前9時、4号機が全出力運転中に冷却系に異常を生じ緊急停止、発電所周辺に放射性物質の影響を及ぼすおそれが生じた」という想定であった。屋内退避なども実施され、発電所周囲半径1㎞、風下3㎞の範囲が避難地域に指定され、大熊町スポーツセンターに避難用車両を集結した。 なお高倉は「住民避難を伴った」と述べているが、実際には大熊町消防団、東京電力社員が「一般住民」役を演じたものであった。このため、事前に『広報おおくま』で予告されたものの、一般町民への案内は国道6号線の交通規制に対する協力願いとなっていた。このためチェルノブイリ原子力発電所事故後、大熊町議会で再度防災を議論した際、この訓練を振り返って「住民不在の防災訓練」として批判的に指摘を受けることとなったが、町長は答弁にて一部住民も参加していたと述べ、「産業道路のような形で福島なら福島、郡山なら郡山へ一時間位で行けるような幅の広い道路や阿武隈山脈の中腹に避難壕的なものを作って、備えあれば憂い無しの例えの施設を作るのが肝要であろう」とし国の責任においてインフラ整備を実施するよう求めるとした。
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