危機と変質とは? わかりやすく解説

危機と変質 (7世紀 - 8世紀)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 02:15 UTC 版)

東ローマ帝国」の記事における「危機と変質 (7世紀 - 8世紀)」の解説

ヘラクレイオス王朝」および「イサウリア朝」も参照 608年カルタゴアフリカ総督英語版)大ヘラクレイオス英語版)が反乱起こし610年カルタゴ総督・大ヘラクレイオスの子ヘラクレイオスイラクリオス在位610年 - 641年)が皇帝即位したヘラクレイオスは、西突厥二度にわたる戦争第二次ペルソ・テュルク戦争英語版)、第三次ペルソ・テュルク戦争)に助けられ、シリア・エジプトへ侵攻した英語版サーサーン朝ペルシアニネヴェの戦い (627年)で破るなどして東ローマ・サーサーン戦争 (602年-628年)勝利し領土奪回することに成功した627年ハザール主力とする「東のテュルク」と同盟結んだが、628年統葉護可汗殺され後継者問題にゆれる西突厥との同盟関係失われた東ローマ領内では既に4世紀からラテン語重要性次第低下しつつあり、ギリシア語徐々に事実上公用語へと変わっていた。それでもなおラテン語は「ローマ人言語」としてその重要性維持試みられもしたが、5世紀中には文官たちにとってラテン語習得はもはや必要なものではなくなっていた。軍はラテン語伝統を最も長く保持し6世紀に至るまで公式の行政文書ラテン語書いたが、全体として東ローマ帝国領内におけるラテン語使用時間と共に低迷する潮流は変わらなかった。ヘラクレイオスはこの変化を公式に認め620年にはギリシア語公用語であることを承認したまた、ヘラクレイオスサーサーン朝対す勝利の後、古くから蛮族の王を指す通用的な用語であったバシレウス(Βασιλεύς, ヴァシレフス)」を公式儀礼用語として使用するようになった。この言葉ラテン語の"rex"に対応し以降帝国滅亡まで用いられた。古くからのローマ称号であるアウグストゥス(アウグストス)も公式儀礼用語として使用され続けたが、その場合でも「信者ヴァシレフス」が必ず付された。

※この「危機と変質 (7世紀 - 8世紀)」の解説は、「東ローマ帝国」の解説の一部です。
「危機と変質 (7世紀 - 8世紀)」を含む「東ローマ帝国」の記事については、「東ローマ帝国」の概要を参照ください。

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