危機と改革の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 18:44 UTC 版)
しかし続くフリードリヒ・ヴィルヘルム3世の時代はプロイセンにとって危機の時代だった。消極的で優柔不断な国王は暗愚にして軍隊は旧態依然、意気揚がるナポレオン軍にかなうはずもなく、1807年のティルジット条約によってエルベ川以西の領土は全て失われ、領土と人口は約半分になった。王妃ルイーゼはこのとき優柔不断な国王を激励し、自らもナポレオンと会談するなどしてプロイセンの存続に尽力したため、非常な尊敬を集めた。危機は改革を呼び、シャルンホルストやグナイゼナウ、クラウゼヴィッツが軍制改革を、シュタインに続いてハルデンベルクが自由主義的改革によって農民解放、行政機構の刷新を行った。 フランスによる支配はドイツ人に民族としての自覚を生み、フランスからの解放者としての役割をプロイセンに求める人々が現れた。芸術はロマン主義の時代に入り、クライストやフィヒテのような熱狂的愛国者がナショナリズムを鼓吹したため、ドイツ統一を目指す運動が始まったが、プロイセンはまだそのような一部の自由主義者の理想とは程遠かった。これはオランダに似て、これまでのプロイセンに他国の移民や亡命者を受け入れる文化があったためである。
※この「危機と改革の時代」の解説は、「プロイセン王国」の解説の一部です。
「危機と改革の時代」を含む「プロイセン王国」の記事については、「プロイセン王国」の概要を参照ください。
- 危機と改革の時代のページへのリンク