危惧感説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/07 17:23 UTC 版)
新過失論は客観的な結果回避義務違反(社会的相当性からの逸脱)を重視するため、相対的に主観的な予見可能性には重点が置かれないことになるが、それでも、漠然たる不安感・危惧感では足りず、ある程度の具体的な予見可能性は必要であることを前提としていた。 これに対して、危惧感説(きぐかんせつ)や新々過失論(しんしんかしつろん)と呼ばれる考え方は、社会的に不相当な行為をした以上、何らかの危険があるかもしれないという漠然とした不安感・危惧感がありさえすれば過失犯は成立するとする。 このような考え方は、公害事件や薬害事件のような未知の分野について、広く過失犯の責任を問うべきであるという動きとともに提唱された。しかし、これは、結果的に予見可能性の要件を否定することになり、責任主義に反するとの批判があり、現在では支持されていない。
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