危機と駆け引き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 08:38 UTC 版)
「ステパン・シャウミャン」の記事における「危機と駆け引き」の解説
同年の夏の盛り、マクドネルは個人的にシャウミャンの自宅を訪れ、イギリス軍の介入問題について概ね和やかに議論した。マクドネルは、バクー入りする英軍のライオネル・ダンスターヴィル(英語版)将軍は政治的な利害関係には一切口出しせず、彼の関心は街の防衛のみにある、と答えシャウミャンを安心させようとした。だがシャウミャンは納得しなかった。シャウミャンには、ボリシェヴィキは今すぐではないにしろカスピ海から援軍を送ってくるはずだという目算があった。彼はモスクワにアルメニア人部隊の戦闘能力を讃える夥しい数の電報を送っていたが、即座にオスマン軍の進撃を止めることはできないだろうとの忠告も付け加えた。2人の会話は、イギリス軍が支援する軍事力が完全にボリシェヴィキの管理下に置かれるのであれば、ボリシェヴィキは支援を受け入れる用意がある、との結論に終わった。しかしこの条件はイギリス側が簡単に呑めるものではなかった。 その後間もなく、イギリスがボリシェヴィキに対する支援の延期を決定したことで、両者の関係は転機を迎えた。マクドネルがシャウミャンの強直した発言を知らされたのは7月10日のことだった。 イギリスとフランスの新しい政策とは、反ボリシェヴィキ勢力を支援することだったらしい……それらが白軍か社会革命党か、などというのは些細な問題に過ぎない。 実際、過去数日の間に膨大な数の人間がマクドネルの元を訪れ、シャウミャンに対する支援の約束を取り下げたことについて懇願を行った。彼らの多くは反ボリシェヴィキのロシア帝国軍元将校だと名乗ったが、マクドネルはそのほとんどがボリシェヴィキの手の者ではないかと疑っていた。
※この「危機と駆け引き」の解説は、「ステパン・シャウミャン」の解説の一部です。
「危機と駆け引き」を含む「ステパン・シャウミャン」の記事については、「ステパン・シャウミャン」の概要を参照ください。
- 危機と駆け引きのページへのリンク