南海トラフを主震源域とする説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 01:32 UTC 版)
「慶長地震」の記事における「南海トラフを主震源域とする説」の解説
震動および津波に関する伝承記録から解析し南海トラフを主震源域として駿河トラフ、相模トラフなどどの領域が連動したのか、いくつかの見解がある。また、東北地方太平洋沖地震の知見を踏まえ、弱い震動と大きな津波の発生理由として海溝軸付近でのすべり量を大きく見積もる研究がある。また、泡と発光現象を説明するため、南海トラフの海底にあるメタンハイドレートが連鎖的に気化したと考える説がある。 南海トラフ連動説 今村明恒(1943)は、軍記による房総半島の被害記録に重きを置くわけには行かないとして、大森房吉(1913)の唱えた房総沖説を否定して東海道沖および南海道沖に震源を仮定し、津波を宝永地震や安政地震と同類のものと考えた。ただし、安政地震のような二元地震ではないであろうとしている。 石橋克彦(1983)は、本地震は震源域が宝永地震とほぼ同じ南海トラフ沿いにあり、系列が異なる津波地震であるという仮説を立てた。天正13年11月29日(1586年1月18日)の天正地震によってアムールプレート(ユーラシアプレート)の東進が進み、その結果中央構造線沿いで横ずれ応力が増大して文禄5年(1596年)の伏見地震など一連の地震活動をもたらし、南海トラフのプレート境界の応力状態が緩和されて、やや低い応力レベルで滑りの遅い津波地震が発生したとの見方もある。 東海道沖および南海道沖説 飯田汲事(1981)は、震度分布や津波記録が志摩半島以東と、紀伊半島西部から四国の2地域に分類されるとし、東海沖と南海沖の二元地震としている。宇佐美龍夫(2003)も、震央位置を(1) 北緯 33.5° 東経 138.5° (2) 北緯 33.0° 東経 134.9°に仮定し、東海沖(1)と南海沖(2)の2つの地震が生じたものとしている。 南海トラフ沿い海溝軸寄り説 東京大学の古村孝志は、強震動と地殻変動の記録が残っていない事などから南海トラフ沿いプレート境界の海溝軸に近い浅い地域の地震だったとしている。 メタンハイドレートの連続崩壊説 名古屋大学の安藤雅孝は、宝永地震や安政地震と同じ断層面でゆっくり滑りが発生したとは考えにくいとの指摘もあることから、メタンハイドレートの介在の可能性を指摘している。 房総半島南東沖と紀伊半島南西沖説 河角廣(1951)は、房総半島南東沖(N34.3°,E140.4°)と紀伊半島南西沖(N33°,E134.9°)の2つの震央を与え、それぞれMK = 6としてマグニチュード M = 7.9の2つの地震と考え、羽鳥徳太郎(1975)も、地震動や津波の記録が一つの震源では説明できないとし、房総南東沖と紀伊半島南西沖に2つの津波の波源域を推定した。 東海沖と房総沖説 相田勇(1981)は、古記録を基にした津波の数値実験から東海沖と房総沖の相模トラフ沿いの二つの断層による波源域を仮定し、房総沖の断層は地震モーメントM0 = 5.3×1021N・m (Mw = 8.4)、東海沖はM0 = 6.4×1021N・m (Mw = 8.5)と推定しているが、歴史記録が乏しく近似の程度は余り良くないとされる。但し、この断層モデルには南海道沖の震源域は含まれていない。
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