千葉港の開港
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1940年(昭和15年)には、東京湾臨海工業地帯計画が内務省土木会議で決定され、その一環として、千葉市今井町地先海面300ヘクタールの埋立てを計画し200ヘクタールの埋立てを行う。翌年の1941年(昭和16年)、船橋(現在の船橋市)に流れる海老川河口の漁船溜りを4年継続で、水深2メートル(面積16,800平方メートル)に整備。1947年(昭和22年)12月26日、御菜浦に指定され漁港として栄えた船橋浦周辺は「船橋港・市川港」と呼ばれ、運輸省告示第349号公有水面埋立法により指定港湾となった。更に翌年の1948年(昭和23年)7月16日、千葉港および船橋・市川港の港則法に基づく港域が決定され、その後、川崎製鉄株式会社を今井町地先埋立地(現在の蘇我副都心)に誘致し、千葉県土木部千葉港湾建設事務所を設置した。1953年(昭和28年)3月25日、千葉港および船橋港の港湾区域を決定(港管第735号、千葉県告示第149号)し、千葉県が千葉港および船橋港の港湾管理者となった。港湾法に基づき千葉港および船橋港が地方港湾に指定され、同年6月には、千葉航路、泊地、川崎正面岸壁が完成。同月13日、最初は民間船として、第二次世界大戦時には機雷敷設艦として多数の潜水艦を撃沈、その後遠洋商業航海船として運用された第1船高栄丸(1万DWT、大同海運)が入港した。 千葉港管理条例が制定し、千葉県警水上派出所、銚子測候所千葉分室、東京海上保安部千葉分室、横浜税関千葉出張所が設置された。同年9月27日港湾運送事業法に基づく2種港に指定され、1954年(昭和29年)2月27日には法務省令第14号により出入国管理令上の出入国港に指定、同年3月20日港則法に基づく特定港に指定された。 1953年(昭和28年)7月1日、千葉港(港則法上の区域、旧船橋・市川港を除く)が政令第150号により国際貿易港として関税法上の開港に指定。これにより後の1982年(昭和57年)10月に、千葉港開港記念日を「7月1日」として制定された。
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