副助祭としてとは? わかりやすく解説

副助祭として(第二ヴァチカン公会議以前の制度で行われていた品級)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 15:58 UTC 版)

ニコラウス・コペルニクス」の記事における「副助祭として(第二ヴァチカン公会議以前制度行われていた品級)」の解説

1511年には聖堂参事会尚書選ばれ文書管理金融取引記録行ったその後有能勤勉な副助祭として多く仕事をする一方フロムボルク聖堂付近の塔で天体観測研究続け新し理論創造向かっていた。ただし、コペルニクス理論家数学者として優れていたもの天体観測の腕は必ずしも良くなかったとされる1512年にはヴァルミア領主司教だった叔父のルーカス・ヴァッツェンローデが死去している。このころには天文学者内において少しずつ名が知られ始めており、1515年には開催中第5ラテラン公会議において改暦議題上がる中、フォッソンブローネ司教であるミデルブルクパウル(en:Paul of Middelburg)がコペルニクス意見求めている。 1516年には聖堂参事会財産管理担当するようになった。この仕事過程貨幣の質のばらつきとそれによる害に気が付いたコペルニクスは、1517年執筆した論文貨幣額面価値実質価値の間に乖離生じた場合実質価値の低い貨幣のほうが流通し価値の高い方の貨幣退蔵され流通しなくなる (「悪貨は良貨を駆逐する」) ことを説明するとともに貨幣の質を安定させ経済活性化させるために国王貨幣鋳造監督し品質保障することを提案した。この論文1519年にはラテン語からドイツ語翻訳され1522年には王領プロシア議会かけられた。コペルニクス議会席上でこの理論について説明しいくつかの提案採用され実行された。 しかし、このころからヴァルミア取り囲むように存在するドイツ騎士団国ポーランド王領プロイセンヴァルミア盛んに侵入繰り返すようになり、1520年にはフロムボルク攻撃され大聖堂こそ生き残ったものの町は大打撃受けたコペルニクスヴァルミア南部オルシュティンへと逃れ同地防衛あたった1521年にはオルシュティン攻撃されたものの2月休戦協定結ばれコペルニクスは再びフロムボルクへと戻った1523年にはファビアン・ルジャインスキ司教死去したため、10月にモーリッツ・フェルベルが次の司教正式に選出されるまでの9か月間、コペルニクスヴァルミア全体行政担当していた。1525年にはドイツ騎士団国最後総長アルブレヒト・フォン・ブランデンブルクポーランド国王ジグムント1世臣従し、プロイセン公称してプロシア公領創設したため抗争は完全に終結したドイツ騎士団国との抗争終結したものの、まもなく宗教改革の波がヴァルミアにも押し寄せてきた。1517年マルティン・ルター開始した宗教改革周囲急速に広がり1523年には隣接するドイツ騎士団国ルター派改宗しヴァルミア近隣にもルター派寄り勢力現れ始めたコペルニクスカトリック立場堅持したが、友人である司祭ティーデマン・ギーゼとともにルター派禁教には反対の立場だった。1526年にはクラクフ大学時代のブルゼフスキ教授天文学講座同窓先輩親友地図学者ベルナルド・ヴァポフスキ (Bernard Wapowski) がポーランド王国リトアニア大公国版図全体地図作成した際、コペルニクスその事業を手伝った1530年代に入ると、コペルニクス聖堂参事会古参として教区内で相談役立場につくようになり始めた

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