副党首選挙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/06 23:01 UTC 版)
「1992年イギリス労働党党首選挙」の記事における「副党首選挙」の解説
党首選にあわせて、副党首選挙も実施された。党首選挙の大勢がスミスの圧勝に傾いていたため、衆目はむしろこの副党首選にそそがれた。党首選挙に敗れたグールドをはじめ、3人が立候補した。 なお、この副党首選挙には、のちの労働党党首・トニー・ブレアも出馬を模索していた。彼に出馬を勧めたのは、ブレア側近で、モダナイザーと呼ばれる党改革派のピーター・マンデルソンやハリエット・ハーマンで、そこには、スミスでは党改革に生ぬるいだろうから、ブレアが副党首として改革を強力に進めるべきとの意図があった。しかし、ブレアの後見役であるロイ・ハタズリーは、ブレアの将来を考えた上で、彼を党ナンバー2の位置に就けるのはもったいないとして出馬に反対。ブレアの盟友であり、ライバルでもあるゴードン・ブラウンも、ここでブレアが副党首になれば、彼との差が広がってしまうとの理由から反対。辞任した党首・ニール・キノックもブレアの実力を認めてはいたものの、まだ早すぎると判断して反対した。 ブレアは本心では出馬を望んでいたが、スミスの「副党首には女性を望む」との一言が決定打となり、情勢はマーガレット・ベケットの優位に傾いた。結局、ブレアはこの副党首選挙には出馬せず、次の党首選挙で党首に就任する。 投票結果候補者得票率マーガレット・ベケット 57.3% ジョン・プレスコット 28.1% ブライアン・グールド 14.6% 結果、マーガレット・ベケットが副党首に選ばれた。
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