副作用による被害内訳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 00:53 UTC 版)
「サリドマイド」の記事における「副作用による被害内訳」の解説
西ドイツ - 被害者3,049人1957年10月1日 - グリューネンタール社が「コンテルガン」の商品名で発売。 1961年11月18日 - ウィドゥキント・レンツ(英語版)が催奇性を学会で報告。 11月26日 - グリュネンタール社が製品の回収を開始。 日本 - 認定被害者309人(最終確認1981年5月)1958年1月20日 - 大日本製薬(現在の住友ファーマ)が独自の製法を開発し、「イソミン」の商品名で販売を開始。睡眠・鎮静剤イソミン(単剤):25mg錠(1錠中サリドマイド25mg含有)、10%散(1g中サリドマイド0.1gを含有する10倍散)。 1960年8月22日 - 大日本製薬が胃腸薬「プロバンM」にサリドマイドを配合し販売。これは妊婦のつわり防止に使用された。胃腸薬「プロバンM」(合剤):抗コリン性鎮痙薬の臭化プロパンテリン(英語版)7.5mg+サリドマイド6mg含有製剤。 このころから奇形児の発生が報告されるようになり、製薬会社は西ドイツに研究員を派遣するなどして情報収集を始めたにもかかわらず製造を続ける。 1962年5月17日 - 大日本製薬が製品の出荷停止。 9月18日 - 販売停止と製品の回収を開始(ドイツでの回収開始から294日後)。一部の製剤はその後も市中で出回る。 同年末までに被害者がイソミンとプロバンMの製造許可に対し法務局に人権侵害を訴えるが、法務省人権擁護局は「侵害の事実なし」と結論。 1963年6月28日 - 大日本製薬を被告として最初の損害賠償請求訴訟が提訴される。(名古屋地裁)その後、京都、東京が続き、全国で8地裁となった。(東京、岐阜、名古屋、京都、大阪、岡山、広島、福岡の8地裁) 1974年10月13日 -原告・被告双方の間で和解確認書に調印。10月26には東京地方裁判所にて和解が成立。11月20日までに、東京を含む全国8地裁で順次和解が成立。 アメリカ合衆国1960年9月に販売許可の申請があったが、アメリカ食品医薬品局(FDA)の審査官フランシス・ケルシーが、サリドマイドの安全性に疑問を抱き審査継続を行ったため、治験段階で数名の被害者を出しただけだった。1962年にケルシーはケネディ大統領から表彰されている。 その他の国家イギリス - 被害者456人 カナダ - 被害者115人 スウェーデン - 被害者107人 中華民国 - 被害者38人台湾の被害者は、すべて大日本製薬のイソミンとプロバンMによる。大日本製薬が1億8,350万円の損害賠償金を支払うことで、和解が成立した。 世界での被害者は約3,900人、30%が死産だとされているので、総数はおよそ5,800人とされている。
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