再度の曳航
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/13 16:40 UTC 版)
「オハイオ (タンカー)」の記事における「再度の曳航」の解説
やがて、撃沈された商船ドーセット(MV Dorset:フェデラル・スティーム・ナヴィゲーション、10,624トン)の生存者を救助した後で追いついた駆逐艦ブランハム(英語版)(HMS Bramham, L51)(艦長:E・F・ベインズ大尉)がオハイオらの元へ合流した。ここでワイルド機関長以下30名のオハイオ乗員が、機関故障を起こし帰還するML 168に乗り先行してマルタ島へ移動した。ライがオハイオの前方から曳航し、ペンがオハイオの後方から曳索で引き支える方法で曳航が試みられたが、この方法は重量のあるオハイオを動かすことができず失敗してしまった。また無理に前後から曳航すれば、外板でわずかに繋がっているだけのオハイオの船体が折れる危険性も考えられた。 8月14日朝、今度は軽巡洋艦マンチェスターの沈没を知りオハイオの元へ引き返してきたレドバリーと、オハイオの援助と護衛のために派遣されたライの僚艦である3隻の掃海艇スピーディ(英語版)(HMS Speedy, J17)(艇長:A・E・ドーラン少佐、掃海艇隊長H・J・A・S・ジェローム中佐座乗)、ヘーベ(英語版)(HMS Hebe, J24)(艇長:J・B・G・テンプル少佐)、ヒース(英語版)(HMS Hythe, J194)(艇長:L・B・ミラー大尉)が一行に合流する。浸水を可搬式ポンプで排水し始めたものの、この時点でオハイオの乾舷は1メートル前後まで減少していた。レドバリー、ライ、ブランハムがオハイオを6ノットで曳航し始めた。 順調に曳航が進むかと思われた矢先、午前10時45分からドイツ空軍機による焼夷弾の爆撃が加えられた。オハイオらにとって幸運なことに、空襲に前後して、マルタ島から発進したイギリス空軍第229中隊(英語版)と第249中隊(英語版)のスピットファイア戦闘機が敵機を発見して援護に駆け付けた。スピットファイアの奮戦によって爆撃機はほとんど追い払われたが、迎撃を逃れたドイツ軍機が投下した1発の500キロ爆弾が船尾に至近弾となり、オハイオの船体が前方に押し出されて曳索が外れたほか、船尾の破孔から大量の浸水が発生して曳航が中断した。 敵機の脅威は去ったものの、マルタ島から45海里の海上で再び立ち往生したオハイオの状況はさらに悪化していた。浸水はポンプでの排水が追い付かないほどに増大しており、乾舷は60センチメートルまで減少し、消火用の海水をバケツで直接汲み上げられるほどだった。再度の検討の結果、オハイオの左右から駆逐艦を接続して横抱き曳航を行い、船体を支えつつ前進させる方法が採られることになった。この方法は上々であり、傷み切ったオハイオの船体を5ノットで前進させることに成功した。作戦開始以来ほぼ不眠不休で戦闘を続けていた乗員たちの極度の疲労や曳索の切断に悩まされながらも、オハイオと各艦艇の乗員、そして救助されていた沈没船の生存者らが協力して曳航が続けられた。
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