公認競馬の始まりとは? わかりやすく解説

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公認競馬の始まり(朝鮮競馬令施行以前)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/20 07:45 UTC 版)

朝鮮の競馬」の記事における「公認競馬の始まり(朝鮮競馬施行以前)」の解説

1921年(大正10年)内地競馬倶楽部同様に馬匹改良と馬事思想普及目的とする競馬法朝鮮競馬倶楽部設立申請がなされ、施設組織内容を見て1922年(大正11年)朝鮮総督府はこれを認めた。場所は京城である。朝鮮競馬倶楽部1922年競馬開始し1923年春に馬券の発売開始している。さらに1924年(大正13年)には平壌平南レース倶楽部1926年(大正15年)大邱競馬倶楽部1927年(昭和2年)釜山競馬倶楽部1928年(昭和3年)新義州国境競馬倶楽部同年群山競馬倶楽部認可得ている。ただし大邱競馬倶楽部1926年認可得ているが競馬の開催1929年からである。 各競馬倶楽部内地地方競馬同じく懸賞富籤類似其ノ他投票募集等ノ取締ニ関スル規定」に準じて1枚2円で馬券発売している(国境競馬倶楽部のみは1枚3円)。馬券控除率主催者取り分)は20%である。昭和5年の各倶楽部データ残っているので記載する初期朝鮮競馬入場者数売上の推移年度倶楽部入場者数馬券売上高開催1925年(大正14年) 2 37,575170,208京城平壌 1926年(大正15年) 2 51,109256,734円 京城平壌 1927年(昭和2年) 3 65,657人 635,326京城平壌釜山 1928年(昭和3年) 5 224,793人 1,283,988京城平壌釜山新義州群山 1929年(昭和4年) 6 241,160人 1,878,860円 京城平壌釜山新義州群山大邱 1930年(昭和5年) 6 214,331人 1,658,799円 京城平壌釜山新義州群山大邱 1930年(昭和5年)の入場者数売り上げ前年より減っているのはこの年天候不順開催日降雨多かったため。 昭和5年の各競馬倶楽部売上競馬倶楽部名所在地馬券発売枚数馬券売上高朝鮮競馬倶楽部 京城(ソウル) 372,557 745,114平南レース倶楽部 平壌 86,952 173,904円 大邱競馬倶楽部 大邱 111,547 223,096円 釜山競馬倶楽部 釜山 186,280 372,560国境競馬倶楽部 新義州 14,757 44,271円 群競馬倶楽部 群山 49,677 99,354合計 821,770 1,658,299円 以上のように1930年(昭和5年)の天候不順影響を除くと朝鮮の競馬順調に発展し京城(ソウル)の売り上げ全体半分近く占めていることがわかる。 1928年には京城新設洞の競馬場改修され本格的な競馬場になっている。この新設競馬場朝鮮競馬中心となり、1945年日本人引き上げた後も施設残り朝鮮戦争まで朝鮮人による競馬が行われている 。

※この「公認競馬の始まり(朝鮮競馬令施行以前)」の解説は、「朝鮮の競馬」の解説の一部です。
「公認競馬の始まり(朝鮮競馬令施行以前)」を含む「朝鮮の競馬」の記事については、「朝鮮の競馬」の概要を参照ください。

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