入れ墨とタトゥー・シール
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「人間広告塔」の記事における「入れ墨とタトゥー・シール」の解説
1999年、雑誌『Vibe』は、次の千年紀には、入れ墨でブランドを広告する人々に企業が広告料を支払う時代になる、と予言した。2001年3月、アメリカ合衆国のプロ・バスケットボール選手ラシード・ウォーレスは、広告会社 Fifty Rubies Marketing から、キャンディ会社の商品を広告する入れ墨を入れることを提案されたが、これを拒んだ。しかし、そのひと月後、リンカーン・ライトニング(英語版)のチアリーディングをするハイ・ボルテージ・ダンス・チーム (High Voltage Dance Team) が、肌を露出した上腹部に、2インチかける4インチ大の一時的なタトゥーシール (tadoos) として地元企業の広告を入れた。2001年9月、プロボクサーのバーナード・ホプキンスが、フェリックス・トリニダードとのタイトル戦の際に、10万ドルの報酬である有名なオンラインカジノを広告する一時的なタトゥーを背中に入れ、ブロ・スポーツ競技においてタトゥー広告をおこなった最初のアスリートとなった。6ヶ月後には、同じ会社が、テレビ番組『Celebrity Boxing』の出演者を使って同じような広告をおこなった。 この会社の取り組みは、直ちに消費者団体などからの批判を浴びた。しかし、この試みは成功し、番組放送後にカジノのサイトへのアクセスは2倍に膨らんだ。その後もこの会社は一時的なタトゥーを用い、2003年のゴルフ全米オープン選手権にトップレス姿の女性を登場させたり、同年のテニス全仏オープンやUEFAヨーロッパリーグ決勝戦にストリーカーを登場させた。 永久的な入れ墨として広告を入れて報酬を受け取ったとして、記録に残されている最初の事例は、ジム・ネルソン (Jim Nelson) という22歳の人物で、2003年に自分の後頭部のスペースを、ホスティングサーバのサービスをおこなっている会社 CI Host に7,000ドルで売却した。この広告が実施されて以降の6ヶ月で、この入れ墨は同社の500件の新たな顧客を呼び込んだ。2005年、アンドリュー・フィッシャー(英語版)は、自分の額(ひたい)のスペースを eBay でオークションにかけ、最終的に30日間の広告掲載を 37,375ドルで売り、芳しくない形で世界的に名を知られるようになった。これ以降、タトゥーによる広告はそこそこ一般的なものになり、数多くの会社が同様のサービスを提供するようになり、トヨタ自動車のような大企業もこの手法を用いるようになった。しかし、『グローブ・アンド・メール』紙の報道によると、身体の一部を広告用に提供しようという人は、そのような広告をしようとする買い手よりも多いとされている。 2012年アメリカ合衆国大統領選挙の運動の中で、エリック・ハーツバーグ (Eric Hartsburg) というプロレスラーはメディアの注目を集めるために、ミット・ロムニー陣営の「R」のロゴタイプを、右のこめかみに永久的な入れ墨として入れた。ハーツバーグは eBay を介してタトゥーを入れる提案をされ、匿名の共和党支持者と契約して、15,000ドルを受け取った。これは、ロムニー陣営との正式な選挙活動との直接的なつながりはなかったとされる。当初この入れ墨をそのままにしておくつもりだったハーツバーグは、大統領選挙で敗北したロムニーの選挙後の発言に失望し、このデザインを除去することを決めたが、それでも入れ墨を入れたことを後悔はしていないとも述べた。
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