先行する判例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/23 07:56 UTC 版)
「ラヴィング対ヴァージニア州裁判」の記事における「先行する判例」の解説
ラヴィング対ヴァージニア州裁判以前にもいくつか異人種間の性関係についての裁判があった。ペイス対アラバマ州裁判(1883)では、アラバマ州最高裁判所により上訴で確定したアラバマ州のカップルの異人種間性交渉に対する有罪判決について、最高裁判所がアメリカ合衆国憲法修正第14条に違反していないという裁決を下した。異人種間結婚による性交渉は重罪とされたが、一方で婚外性交渉(「不倫あるいは姦通」)はただの軽犯罪であった。抗告審判においてアメリカ合衆国最高裁判所は、白人と非白人が異人種間性交渉を行ったかどで平等に罰せられるため異人種間性交渉の犯罪化は平等保護条項違反ではないと裁定した。原告であるペイスが法のこの条項について上訴しないことを選んだため、裁判所にはアラバマ州の反異人種間混交法の一部である異人種間結婚の禁止の合憲性を確認する必要がなかった。ペイス対アラバマ州裁判の後、白人と非白人の結婚や性交渉を禁じる反異人種間混交法の合憲性は1920年代まで争われることがなかった。 カービー対カービー裁判(1921)では、カービーがアリゾナ州に対して婚姻無効を求めた。夫であるカービーは、妻が「ニグロ」の子孫であって州の反異人種間混交法に違反するため自らの結婚が無効であると主張した。アリゾナ州最高裁判所はカービー夫人の身体的特徴を観察することで人種を判断し、夫人が混血であると決定し、ゆえに夫が主張する婚姻無効を認めた。 1939年のモンクス裁判(Estate of Monks, 4. Civ. 2835, Records of California Court of Appeals, Fourth district)では、サン・ディエゴ郡最高裁判所が妻が「8分の1ニグロの血をひいている」とみなされるがゆえにマリー・アントワネットとアラン・モンクスの結婚は無効であると裁定した。この裁判は故アラン・モンクスが残した矛盾する遺言を巡る法的闘争にかかわるものであった。古いほうの遺言はアイダ・リーという名前の友人に有利なものであり、新しいほうの遺言は妻に有利であった。リーの弁護士は、マリー・アントワネットが「ニグロ」であり、アランが白人であったため、アリゾナ州で行われたモンクス夫妻の結婚はアリゾナ州法に照らして無効であると申し立てた。さまざまな専門家証言が相矛盾していたにもかかわらず、判事はモンクス夫人の人種を外科医による解剖学的な「専門的知見」に頼って決めることにした。判事は人類学者や生物学者による外見的特徴から人の人種を判断するのは不可能であるという意見を無視した。 モンクス夫人はアリゾナ州の反異人種間混交法自体を問うこととし、カリフォルニア州第四地区控訴裁判所に訴えた。モンクス夫人の弁護士は反異人種間混交法により、モンクス夫人のような混血の人物は事実上誰とも結婚できなくなり、アリゾナ州の反異人種間混交法はモンクス夫人の自由に対してアメリカ合衆国憲法違反となるような制限を加えていることになると指摘した。しかしながら、裁判所は該当案件は混血の人物2人の結婚ではなく混血の人物と白人の結婚に関するものであるためにこの訴えを不適当であるとして退けた。モンクス夫人の訴えが1942年に退けられ、アメリカ合衆国最高裁判所は本件の再開を拒否した。 転換点となったのはペレズ対シャープ裁判(1948)、別名ペレズ対リッポルド裁判であった。ペレズ裁判ではカリフォルニア州最高裁判所が、異人種間結婚の禁止はアメリカ合衆国憲法修正第14条に反すると認めた。
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