上訴手続き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 13:53 UTC 版)
「ラヴィング対ヴァージニア州裁判」の記事における「上訴手続き」の解説
1964年、ミルドレッド・ラヴィングはヴァージニア州の家族を訪問する際に一緒に旅ができないことや、ワシントンD.C.で社会的に疎外され、経済的にも苦境に陥ってしまったことに苛立ち、アメリカ合衆国司法長官ロバート・F・ケネディに抗議の手紙を書いた。ケネディはミルドレッドをアメリカ自由人権協会(ACLU)に紹介した。ACLUはボランティアの協力弁護士バーナード・S・コーエンとフィリップ・J・ハーシュコップを割り当て、両名はヴァージニア州キャロライン郡巡回裁判所にラヴィング夫妻の代理として申し立てを行った。この申し立ては裁判所に対し、ヴァージニア州の反異人種間混交法はアメリカ合衆国憲法修正第14条の平等保護条項に違反するという理由で刑事判決を無効とし、ラヴィング夫妻の有罪判決を破棄することを求めるものであった。 1964年10月28日、申し立てへの判断をほぼ1年もの間待った後、ACLUの弁護士はヴァージニア州東地区アメリカ合衆国連邦地方裁判所に集団訴訟を提起した。これにより郡裁判所で本件を担当していた判事レオン・M・バジルは長期にわたり係争中になっていた無効申し立てに裁定を出さねばならないことになった。18世紀におけるヨハン・フリードリヒ・ブルーメンバッハの人種解釈を繰り返しつつ、裁判所は異人種間結婚を認めない裁定を下した。 1965年1月22日、2人の判事からなる地方裁判所のパネルが連邦集団訴訟の決定を延期し、一方でラヴィング夫妻はバジル判事の裁定について憲法にもとづきヴァージニア州最高裁判所に上訴した。ハリー・L・キャリコ判事(のちに首席判事)は反異人種間結婚規定の合憲性を支持する裁判所意見を執筆した。キャリコ判事は有罪の決定は支持する一方、判決を修正するよう指示した。キャリコはネイム対ネイム裁判(1955)におけるヴァージニア州最高裁判所の決定を先行する判例として引き、ラヴィング夫妻の判例においては白人と非白人の配偶者が平等に異人種間混交の罪で罰されているため平等保護条項違反ではないと主張したが、これは1883年にアメリカ合衆国最高裁判所がペイス対アラバマ州裁判で行った議論と類似するものであった。 ラヴィング夫妻はその時もACLUの支援を受け、アメリカ合衆国最高裁判所に上訴した。2人はワシントンでの口頭弁論には出席しなかったが、弁護士のひとりであるバーナード・S・コーエンがリチャード・ラヴィングにより伝言を伝えた。これは「コーエンさん、裁判所に私が妻を愛しているとお伝えください、そしてヴァージニア州で妻と住めないのはただ不公平だ」というものであった。
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