健康と安全懸念
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/05 08:11 UTC 版)
このような子供たちの状況を憂慮して、煙突掃除の機械化を推進する協会が設立されたが、そのパンフレットを読めば、この仕事がどのようなものであったかわかる。以下は、ある掃除人が一人の少年の運命について語ったものである。 煙突を通り抜け、暖炉から2つ目の角まで降りてきた少年は、縦方向の側面についていた煤を落とした結果、先が完全にふさがれてしまっていることに気づく。彼はなんとか通り抜けようとし、苦労の末に肩辺りまでは成功する。ところが、彼のその努力によって煤は身体の周囲に固く圧迫され、後退ができなくなっている。その後、今度は前進しようと試みるが、まったくの失敗に終わる。なぜなら、煙道の水平部分が石で覆われているがために、その鋭角の部分が彼の肩や後頭部に強く当たり、少なくともどちらか一方にしか動けなくなっているのだ。顔は既にクライミング・ボーイの帽子で覆われ、下部の煤に強く押し付けられているため、息ができなくなってしまう。この恐ろしい状況で彼は必至にもがくが力及ばず。叫んだり呻いたりしても、数分後には窒息する。その後、警報が発せられて煉瓦職人が呼ばれ、煙道に穴が開けられ、少年は取り出されるも既に命は尽きている。そして、すぐに審問が開かれると検視官は「事故死」とするのだ。 — しかし、煙突掃除人が被った職業上の危険はこれだけではなかった。1817年に議会に提出された報告書では、クライミング・ボーイたちが全般的に養育放棄(ネグレクト)され、成長の遅れや背骨、脚、腕の変形が見られると記されている。これは、まだ骨が柔らかい少年の時期に異常な姿勢を長時間強いられることが原因だと考えられ、特に膝と足首の関節に異常が見られた。失明の恐れがある瞼の爛れや炎症は、少年たちが目をこすり続けるために治りが遅かった。痣や火傷は高温環境下での作業を強いられるという明白な危険を示していた。陰嚢における癌は煙突掃除人でのみ発見されるため、研修病院(teaching hospital)では「煙突掃除人癌」と呼ばれていた。喘息と胸の炎症は、少年たちが天候に関係なく、屋外での作業に晒されていたことが原因と見られた。 掃除人たちから煤疣(すすいぼ、英:soot wart)と呼ばれた煙突掃除人癌は、煙突掃除人が10代後半や20代で発症し、現在では陰嚢扁平上皮癌の症状として同定されている。1775年、パーシヴァル・ポット卿はこの病気の患者がクライミング・ボーイや煙突掃除人たちに多いことを報告しており、最初に見つかった職業病の癌となった。ポットの記述は以下のとおりである。 それは常に陰嚢の下部で最初に発症する病気であり、表面的な痛みと散発的な苦痛を伴う痛みを引き起こし、時々、鋭い痛みが生じる。それほど長い時間がかからずに皮膚や浅陰嚢筋膜へ浸潤します。そして陰嚢の膜へ腫瘍が拡大するにつれ睾丸が侵され硬化していき完全に機能を失います。そこから腫瘍は精索の流れを通って腹部へと癌が進行していきます。 また、少年たちの生活についてもコメントが残っている。 彼らの運命は特に過酷である(中略)非常に残酷に扱われ(中略)狭く、時に熱い煙突を登らされ、傷つき焼かれ、ほとんどが窒息する。やがて思春期になると(中略)きわめて不快な、痛ましい、そして致死的な疾患にかかりやすくなる。 発がん性物質はコールタールと考えられ、ヒ素が含まれている可能性もあった。 事故死も多く、熱せられた煙突で挟まり窒息死や焼死することが多かった。時には彼を助けるために送られた2人目の少年もまた同じ運命を辿ることすらあった。
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