修道院の誕生と発達とは? わかりやすく解説

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修道院の誕生と発達

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 20:53 UTC 版)

キリスト教の歴史」の記事における「修道院の誕生と発達」の解説

修道院」も参照 修道制度の歴史古代にまでさかのぼる。古代には洞窟砂漠1人修行し隠者の生活を送るキリスト教徒たちがいたとされ、伝承では聖アントニウスがその始祖であるという。このような人々独居し、他人最低限接触しか持たなかった。しかし、完全に一人生きていくことには多くの困難が伴ったため、このような修道士たちが集団で暮らす制度生まれた。これが修道制度起源である。 ローマ帝国による迫害終わり信仰の自由保障されると、キリスト教徒として、より禁欲的な生活を求めた人々もこの砂漠人里はなれたところで求道的な生活を行うという運動加わったこのような生活スタイルはやがてアイルランドにも伝わり同地盛んになった。アイルランド修道者たちはイングランドヨーロッパ本土渡ってキリスト教布教つとめたその後ヨーロッパ東西修道制度異なった展開を示す。東方では個人での信仰重んじる修道士時に対立し組織化されない民衆のいわば代弁者として機能した聖像破壊運動対す聖像擁護などはその一例である。修道士はだんだんに発言権増していき、高位聖職位を独占するに至る。帝国もまた修道士保護し、アトス・メテオラなどの山岳地には大規模な修道院発達した西欧修道制度ヌルシアのベネディクトゥス創始することになった彼の生み出した修道制度最大特徴は、同じグループ属すすべての修道者たちが会憲・会則という形で同じ精神共有することにある。こうして生まれたのがベネディクト会である。ベネディクトゥスにならい、同じ精神生活スタイル持った女性たち集まり女子修道院生まれた。「祈り働け」をモットーにしたベネディクト会は、信仰生活だけでなく労働重視荒れた土地開墾し農業技術やそれに伴う醸造製造技術発展させた。さらに修道院では写本製作によってギリシア・ローマ以来古典わずかながらも保存され旅行者病人への世話おこないラテン語教育を施すことで中世通じて文化的社会的拠点となり、古代優れた文化わずかながらも保存し後世伝えた。ただし古代優れた文化保存伝承主としてイスラム世界によりなされた。またビザンティン世界がこれを補完したのであって西方修道会活動はあってもわずかであり、むしろ西方修道会はより多く古代文化破壊者であったことも事実である。その後ベネディクト会確立したスタイルならって多く男女修道会生まれていった。

※この「修道院の誕生と発達」の解説は、「キリスト教の歴史」の解説の一部です。
「修道院の誕生と発達」を含む「キリスト教の歴史」の記事については、「キリスト教の歴史」の概要を参照ください。

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