修道院の建築活動とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 修道院の建築活動の意味・解説 

修道院の建築活動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 19:57 UTC 版)

ビザンティン建築」の記事における「修道院の建築活動」の解説

修道院建設中期ビザンティン建築主たる特徴である。カルケドン公会議司教監督下に措かれた各修道院は、聖像破壊運動迫害忌避してその管理下から逃れ10世紀頃までにはかなりの独自性を持つようになっていた。 スラブ人ブルガリア帝国から奪還されたバルカン半島では、961年に聖アナスタシウスラヴラ修道院建設したあと、ギリシャ正教最高の聖地となったアトス山修道院や、フォキスにあるオシオス・ルカス修道院ヒオス島ネア・モニ修道院など、多く修道院建設されている。修道院さまざまな建築複合体であり、中央教会堂(カトリコン)を残してその他の施設消滅している場合もあるが、今日に至るまで残存しているものも多い。また、都市人口減少による空地拡大伴って都市開設される修道院認められるうになるこのような修道院一部裕福層からの寄進によって建設されたものも少なくなく、寄進者らに施設そのもの不動産して譲渡売却することも行われたコンスタンティノポリスでは、貴族出身のコンスタンティノス・リプスによって建てられ修道院教会堂挙げられる907年創建された教会堂それほど大きなものではないが、献堂式皇帝列席するほど壮麗な建築で、大量彫刻装飾大理石象眼釉薬タイルによって装飾されていた。コンスタンティノポリスその他の修道院としては、ロマノス・レカペノス提督皇帝ロマノス1世)のミュレレオン修道院中央聖堂、イサキオス・コムネノスによるコーラ修道院中央聖堂などが挙げられる地方都市では、テッサロニキパナギア・ハルケオン聖堂、スクリプーのコイメシス聖堂などで、貴族寄進による修道院建設を見ることができる。 貴族寄進に頼るこれら中期ビザンティン教会堂建築大規模なものは存在しないが、その代わり外部空間はかなり意識されるようになったようである。内部空間重要性変わりはなかったが、中央聖堂修道院中庭孤立して建設されたため、外部装飾する意識生まれたようである。オシオス・ルカス修道院生神女聖堂では、外壁煉瓦積みクロワゾネ呼ばれる技法によって構成されクーファ文字モティーフとした浮き彫りによって装飾されており、同様のモティーフテッサロニキパナギア・ハルケオン聖堂など、バルカン半島でよく見られるまた、アクダマル島のスルブ・ハツ聖堂外部美し浮き彫り覆っている。

※この「修道院の建築活動」の解説は、「ビザンティン建築」の解説の一部です。
「修道院の建築活動」を含む「ビザンティン建築」の記事については、「ビザンティン建築」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「修道院の建築活動」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「修道院の建築活動」の関連用語

修道院の建築活動のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



修道院の建築活動のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのビザンティン建築 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS