侵攻に対する反応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/31 05:18 UTC 版)
「メリーランド方面作戦」の記事における「侵攻に対する反応」の解説
リーの侵攻は初めから困難さを伴い大変なものとなった。南軍は落伍や脱走によって数が減っていた。シャンティリーでは55,000名で出発したものが、10日間で45,000名まで減っていた。ある部隊は、北部領内への侵略は自分達が北部からの侵略に対しその州を守るためにのみ戦っているという信念に違背するものとして、ポトマック川を越えることを拒んだ。メリーランドの畑から熟していない青トウモロコシを採って食べた後に下痢を起こして病気になった者も多く、あるいはその靴の無い足が硬い北部の道路で血まみれになったと言って脱落した者もいた。リーは、落伍兵達が「危機にある仲間を見捨てる」臆病者と考え、それ故に最近の方面作戦で「不滅の名を恣にしてきた軍隊の一員として相応しくない者」と考え、部下の士官達には落伍兵に厳しく当たるよう指示した。 南軍がメリーランドに入ってもほとんど支援が得られなかった。むしろ、熱狂さの冷たい欠如から大半の場合は明け透けな敵意に至るまでの反応に遭った。ロバート・E・リーは予想もしていなかった状態である州内の抵抗に失望した。メリーランド州は奴隷保有州ではあるが、南軍への同調の声は、一般に北軍側を支持した大衆の中では、メリーランド州議会で挙がった脱退支持の声よりもはるかに少なかった。さらに、強烈に南部を支持したメリーランド人は既に戦争の開始時期に南部に移ってバージニアで南軍に参加していた。わずか何十人かがメリーランドでリー軍の隊列に加わった。 メリーランド州とペンシルベニア州は、侵攻によって警鐘を受け怒りを増し、同時に武器を持って立ち上がった。ペンシルベニア州知事アンドリュー・カーティンは5万名の民兵徴集を要求し、ペンシルベニア生まれのジョン・F・レイノルズ少将をその指揮官に指名した(このことはマクレランやレイノルズの軍団指揮官ジョセフ・フッカーにかなりの欲求不満を起こさせたが、北軍総司令官ヘンリー・ハレックはレイノルズにカーティンの元で仕えるように命じ、フッカーには新しい師団指揮官を見付けると伝えた)。はるか北のペンシルベニア州ウィルクス・ベラでは教会と市庁舎の金が鳴らされ、男達を訓練に集まらせた。 メリーランドでは、まだ直接脅威を感じていなかったペンシルベニア州よりも恐慌が広く拡がった。リーが脱退側の温床であり、南軍が現れて革命を起こす機会を単に待っているだけだと不正確に考えていたボルティモアは、即座にリーに対する戦争の呼びかけを始めた。 南軍がポトマック川を渡ったという報せがボルティモアに届いたとき、その反応は即座のヒステリー様のものであり、直ぐに冷静な決議が続いた。群衆は最新版の号外を待ちながら新聞社の外の通りをうろつき、興奮を抑制するために酒類の販売が止められた。大衆は包囲戦を恐れて食料や他の生活必需品を貯蔵した。フィラデルフィアはヘイガーズタウンから150マイル (240 km)以上離れており、当面の危険性は無かったが、それでも熱狂的な準備の嵐に巻き込まれた。
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