佐立七次郎(さたちしちじろう 1856-1922)

佐立七次郎の設計建物の中で現存しているのは、日本水準原点標庫と旧日本郵船小樽支店の二つである。もちろん前者は、日本の高さの基準となる日本水準原点の目盛板を納める建物である。同標庫は、現在憲政記念館前庭にあるが、明治24年5月の竣工当時は参謀本部敷地内に位置していた。そして、東京都指定有形文化財になっている。
後者は、日本郵船の小樽支店であるとともに、日露戦争後に樺太(現サハリン)の北緯50度以南を日本領土とするための日露国境画定会議が開かれた場所である。同測量は、樺太で日本とロシアの天文学者や測量技師が現地で行ったもので、これは陸地測量部最初の海外測量になった。旧日本郵船小樽支店の裏門には、先に手がけた日本水準原点標庫のドリス式ローマ神殿形式様の特徴的な面影を見ることができる。同建築物は、明治39年10月に竣工し、現在は国指定重要文化財になっている。
偶然の産物ではあるが、佐立七次郎が係わった現存する二つの建物がいずれも測量にかかわることになったのは興味深い(不完全ながら成田山東京別院深川不動堂に隣接した深川公園に「石造燈明台」も現存する)。
佐立は、四国讃岐生まれ、明治6年(1873)16歳で工部大学校入学。造家学科では、日本の近代建築の礎を築き、多くの建築家を育てたことで有名な英人ジョアイサ・コンドルに学んだ。
ちなみに、工部大学校造家学科の第1期生には、佐立七次郎のほか、日本銀行や東京駅の設計者として名高い辰野金吾、慶應義塾大学図書館の曾禰達蔵、京都国立博物館や赤坂離宮片山東熊がいる。佐立は工部大学校卒業後、工部省技手となり営繕局勤務ののち、海軍省、逓信省に勤務した。逓信省を辞した後は、建築事務所を開設し、日本郵船会社の建築顧問を務めた。

佐立七次郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/25 20:31 UTC 版)
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佐立七次郎 | |
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生誕 | 安政3年12月7日 (1857年1月2日) 讃岐国高松(現・香川県高松市) |
死没 | 1922年(大正11年)11月5日 |
国籍 | ![]() |
出身校 | 工部大学校 |
職業 | 建築家 |
所属 | 工部省→海軍省→藤田組→逓信省→日本郵船 |
建築物 | 日本水準原点標庫 日本郵船小樽支店 |
佐立 七次郎(さたち しちじろう、旧字体: 佐立 七次󠄁郞)は、明治時代に活躍した建築家。工手学校(現工学院大学)造家学科教員。工部大学校造家学科第一期卒業生。
経歴
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伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません。
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- 1857年(安政3年)讃岐藩士の子として高松城下(現、高松市)に生まれる。
- 1873年(明治6年)8月 工学寮に入学する
- 1879年(明治12年)11月 工部大学校造家学科を卒業(同期に辰野金吾、曾禰達蔵、片山東熊がいる)。工部省技手となり、営繕局勤務上野博物館建築掛を命じられる
- 1880年(明治13年)10月 鉱山局勤務となり、秋田県院内鉱山建築掛を命じられる
- 1882年(明治15年)4月 会計検査院建築掛を命じられ、設計・監督を担当する
- 1883年(明治16年)7月 海軍省に転任し、横須賀鎮守府造船所在勤建築課員営繕掛となり、学舎教授掛兼務を命じられる
- 1884年(明治17年)5月 依願免官となり、藤田組(現フジタ)に入る
- 1887年(明治20年)2月 逓信省に入り、逓信技師に任じられる。工学士の称号を認可される。
- 1888年(明治21年)郵便及び電信局舎建築法研究のため、欧米へ出張し、翌年帰国。
- 1891年(明治24年)10月 逓信省を辞し、建築設計事務所を開設する
- 1897年(明治30年)頃 日本郵船株式会社の建築顧問となる。
- 1912年(大正元年)12月 退社し、自宅で静養する
- 1922年(大正11年)11月 死去(享年67)。遺言により、遺体は慶應病院において解剖される
主な作品


建造物名 | 年 | 所在地 | 状態 | |
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会計検査院 | 1885年(明治18年) | 東京都千代田区 | 現存せず | |
名古屋郵便局 | 1890年(明治23年) | 愛知県名古屋市 | 現存せず | |
東京九段郵便局 | 1891年(明治24年) | 東京都千代田区 | 現存せず | |
日本水準原点標庫 | 1891年(明治24年) | 千代田区 | 東京都重要文化財 | 現在も公的建造物としての機能を有する |
大阪中央郵便局 | 1892年(明治25年) | 大阪市北区 | 現存せず | |
東京株式取引所事務所立会所 | 1896年(明治29年) | 東京都 | 現存せず | |
日本郵船小樽支店 | 旧1906年(明治39年) | 北海道小樽市 | 重要文化財 |
家族・親族
子の佐立忠雄(1886年 - 1952年)も建築家。作家・詩人の金子光晴の義祖父にあたる。
参考文献
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関連項目
外部リンク
- 日本建築学会所蔵写真データベース
固有名詞の分類
- 佐立七次郎のページへのリンク