住人の記録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 01:02 UTC 版)
「デルスウ・ウザーラ (書籍)」の記事における「住人の記録」の解説
先住民 本書には南方ツングース系のナナイ族、ウデヘ族、ソロン族が登場する。ナナイ族やウデヘ族は、シベリアや極東地域に住んでいたツングース語族に属する。ウデヘ族はターズとも呼ばれていた。 ウデヘ族は寒さに強く、服やまつ毛に霜が降りる外気の中でも眠ることを、アルセーニエフは驚いて記している。ウデヘ族は地理を理解する能力に優れており、砂地に棒で正確な地図を書いた。アルセーニエフが平面図法の地図をウデヘ族に見せると、すぐに理解した。 ソロン族は17世紀にアムール川上流とゼーヤ川流域に住んでいたとされ、ロシアとの紛争で居住地が荒廃したため、清によって移住させられた。現在の中国では索倫郡温克(ソロン・エヴェンキ)とも呼ばれる。スンガリーのソロン族の中には、清と馬賊の紛争を避けてウスリー川へと逃れた者もいた。 ウデヘ族をはじめ先住民には移民に対して借金を負っている者がおり、返済不可能な額に達していた。借金のかたに奴隷化される者もおり、アルセーニエフはターズが搾取されていたと記している。 移民 清やロシアが北東アジアへ進出するにつれて、人の移動とともに病気も伝わり、先住民族が減少した。デルスウの妻や子も天然痘で亡くなっている。デルスウによれば、子供時代はナナイ族やウデヘ族だけが住んでいた。そこに中国人、ロシア人、朝鮮人、日本人が来た。山火事が増えて森の獲物も減り、これからどうやって生きてゆけばよいかとデルスウは語っている。 アルセーニエフが出会った移民には、警戒する者、歓待する者の両方がいた。ドゥンターウィズでは中国人に親切にされ、洪水のあとで物資も提供された。他方で金鉱を探していた者には警戒された。借金のかたに先住民を酷使している者もいた。 本書で旧信徒と表記されているスタロヴェールは、ロシア正教会による奉神礼改革に反対した人々を指す。古い様式を保持するために辺境での暮らしを選んでおり、探検隊は何度か出会っている。中にはデルスウとの交流が長い者もいた。スタロヴェールは新しい移民がものを奪ったり資源の奪い合いをするため、移民を「追われもの」と呼んで距離をとっていた。スタロヴェールの中には先住民と友好的な関係を築き、耕作や牧畜で生活を助けた村もあった。 猟師の生活 先住民と移民ともに、高価なクロテンをはじめとして毛皮猟を行なった。クロテンは明の時代に中国の宮廷で人気を集め、清以降も高値で取り引きされた。先住民にとっては、シカやクマよりも肉や毛皮の量が少ないクロテンは重要ではなかったが、交易の価値があるために毛皮を傷つけない罠猟で狙った。クロテンの毛皮は秋から冬にかけてのものが質がよく、アルセーニエフ隊が旅をした秋はクロテン猟のシーズンであり、各地でクロテン猟師に出会っている。また、他の猟師が仕掛けた獲物を狙うクロテン泥棒も出没し、犯行が明らかになった者が集落を追放される光景をアルセーニエフも目撃している。その他に高価なものとしてシカの角があり、骨化する前の袋角を取って中国人が強壮薬とした ゴールドラッシュ ウラジオストックでは、ジギト湾で砂金やダイヤモンドが採れるという噂が広まり、金を探す者がやってきた。探検隊はその中の何人かと出会っている。金を見つけられなかった者は移民局で補助金を受け取って移民となった。中国系や朝鮮系の人間にも金を探す者たちがおり、デルスウは森林で餓死した金探しの骨を見つけている。 食文化 アルセーニエフは出会った民族や集団の食文化も記録している。ウデヘ族のご馳走である冷凍の生魚、旧信徒が行っている北限の養蜂などが描かれている。
※この「住人の記録」の解説は、「デルスウ・ウザーラ (書籍)」の解説の一部です。
「住人の記録」を含む「デルスウ・ウザーラ (書籍)」の記事については、「デルスウ・ウザーラ (書籍)」の概要を参照ください。
- 住人の記録のページへのリンク