奉神礼改革
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「ニーコン (モスクワ総主教)」の記事における「奉神礼改革」の解説
「古儀式派」も参照 総主教となったニーコンが初めに取り組んだ事業は祈祷書の統一であった。ロシア各地の祈祷書の文面には、異同が多数存在していた。ニーコンは、ギリシア人の学者に、典拠となる祈祷書の作成を命じた。 つづいてニーコンは奉神礼の改革にあたった。ロシア古来のものと代わって、同じ東方正教会であっても、ギリシアふうの儀礼を導入しようとしたのである。1653年2月、復活祭の直前にニーコンは通達を出した。 十字を画くとき、今まで二本の指で行っていたが、今後はギリシアと同様、三本の指で行うこと 大斎期間のあいだ、シリアのエフレムの祈りの際、跪拝を今までの16回から4回に減らすこと。 ロシア史学者で、ロシア中世文芸の翻訳も多い中村喜和は、ニーコンの考えは、以下のようなものではなかったかと述べている。当時のロシアの風習からギリシア風への変更は、ビザンツ帝国が滅び、コンスタンティノープルがオスマン朝のものとなった当時にあっては、ロシアが全東方正教会の守護者となるために是非とも必要である。これは西ルーシを併合し、ギリシア正教の影響を受けた正教徒たちを受け入れる必要に駆られたツァーリ・アレクセイの意に沿ったものでもあった。
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