会社支配の継続
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 08:53 UTC 版)
「北大東島のリン鉱山」の記事における「会社支配の継続」の解説
玉置商会が島内の統治者として頂点に立ち、島内の全権を握って治外法権的権力を握り、その下に八丈島出身者からなる親方、そして沖縄県出身者から構成される仲間と呼ばれた契約労働者が底辺となるピラミッド型の社会は、東洋製糖時代も変化がなかった。 大東諸島への訪問は会社発行の証明書が必要であり、関係者以外の立ち入りはほぼ認められなず、会社から見て望ましくないと判断された人物には退島命令が出された。そして島内で得られた利益は主に東京、大阪など内地へと吸い上げられる仕組みとなっていた。そして玉置商会時代と同様、会社が発行する私的な紙幣が金券として流通し、市町村制は施行されず住民に地方選挙権は無かった。学校、郵便局、病院は会社経営で、警察官さえも会社が給与を支払って勤務する請願巡査であった。 北大東島の場合、会社組織のトップは北大東島出張所の所長であった。出張所長は島内の企業社員、そして主にサトウキビ栽培に従事していた農家、そして鉱山労働者たちの頂点に立っており、島内全体を取り仕切る大きな権力を持っていた。 東洋製糖の後に南北大東島を経営した大日本製糖は、1934年に発行した「日糖最近二十五年史」の中で 凡そ一会社が全島を領有するが如きは稀有の事例にして、当社(大日本製糖)は確実に且つ完全に南北大東島の所有権を握れり。政府も又充分なる理解を以て毫も干渉せざるのみならず、拓殖上幾多の便宜を与へ、島民もまた悦服協力し、全島和気靄然として聊かも他より掣肘さるることなく、この経営は当社の自由手腕に一任せるを以て、能く一貫したる施設をなすを得。この一事は我国に於て他に比す可きものなく、特異の事実として植民地経営上最も貴重な参考資料なるべし。 と述べている。 リン鉱山の鉱業所では、出張所長を長とした社員・雇員が最上層であり、その下に現業員(傭人)、そして最下層はリン鉱石の採掘や鉱石の運搬に従事する鉱夫であった。社員・雇員のみ月給制であり、長期間のリン鉱山勤務者である現業員と鉱夫は日給制であったが、現業員には年二回のボーナスの支給があった。鉱夫はほとんどが沖縄県出身者であり、請負作業制を採っていたため作業成績によって給与の加算はあったものの、社員と鉱夫との給与格差は大きく、明確な階層社会となっていた。
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