企画と資金調達
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 14:06 UTC 版)
本作はシェイクスピアの『リア王』を日本の戦国時代に翻案したものとされているが、もともとは黒澤が「毛利家は『三矢の教え』で知られる毛利元就の3人の息子たちのおかげで栄えたが、もしもその誓いが守られなかったらどうなるか?」という問いに、3人の娘を持つリア王の悲劇に結びつけて着想したものである。主演の仲代達矢は「日本の戦国時代を借りて、終りのない戦さに明け暮れる人間の愚かさを、天上からの『神』の眼で俯瞰した作品」と表現しているが、黒澤も「『影武者』が地の視点なら、『乱』は天の視点」としている。また黒澤は本作を「人類に対する遺言」とも語っており、主人公の一文字秀虎の紋所が太陽と月を模しているのは、黒澤明の「明」を図案化したもので、秀虎が黒澤自身であることを示している。 本作の脚本は、1976年2月15日に御殿場市にある黒澤の山荘で、黒澤と小國英雄、井手雅人の3人で執筆が開始され、3月19日に初稿を脱稿した(決定稿は1981年6月に脱稿した)。初稿は三船敏郎を想定して書かれ、三船は主演だけでなく三船プロダクションで製作費の一部を出そうとしたが、莫大な製作費がかかるため断った。脚本執筆の費用を負担していた日本ヘラルド映画も製作費がかかりすぎるため先送りにし、他の映画会社も尻込みして企画は思うように進まなかった。そこで黒澤は本作の製作費を軽減するため、同じ戦国時代を舞台にした『影武者』(1980年)を先に製作し、その小道具や衣装などを本作に流用しようとした。『影武者』は興行的に大成功したが、それでもリスクの大きい本作の製作に日本の映画会社は踏み切れず、東宝は内容が暗すぎるという理由で難色を示した。 1982年、フランスの大手映画会社ゴーモンの出資が決まり、同社の紹介で映画製作者セルジュ・シルベルマンのグリニッジ・フィルム・プロダクションが製作参加した。フランスから映画助成金を引き出せる可能性もあることから、同年9月に黒澤はフランスの文化大臣ジャック・ラングと面会し、映画に理解があるラングは本作のバックアップを約束した。こうして製作の目処がつき、同年11月19日に帝国ホテルで製作発表記者会見が行われた。しかし、1983年3月25日にフランスで新しい為替管理法が制定され、フランの国外持ち出しが制限されたため、製作費を日本に送金できなくなり、本作は製作延期となった。この時点でゴーモンは製作から完全離脱した。 すでにワダ・エミを通じて衣装を発注し、甲冑などの小道具の製作も始まっていたため、黒澤はヘラルド・エースの社長である原正人に協力を依頼した。その親会社日本ヘラルド映画の社長古川勝巳がこれに応じ、総製作費1050万ドル(当時は1ドル240円で約25億円)のうち、グリニッジ・フィルム・プロダクションが350万ドルを出し、ヘラルド・エースが残りの700万ドルを古川の保証で出資した。こうして1983年12月に製作再開したが、最終的に総製作費は1億円オーバーの26億円となった。
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