人物による発見伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/30 04:07 UTC 版)
歴史上の人物による発見は行基、空海(弘法大師)、一遍などの僧侶による発見などの言い伝えが各地に残っている。これは、仏教においては病を退けて福を招来するものとして入浴が奨励され、貧しい人々や病人・囚人らを対象として施浴がおこなわれていた為である。行基が発見したものは北陸をはじめ、各地に多い。東北地方では、坂上田村麻呂による発見伝説が多く残されている。また役行者らの山伏による発見伝説も多い。 著名な人物による発見伝説で共通することは、開湯伝説を作成する際に名前を引用しただけの場合が多く存在することである。特に、東北地方の坂上田村麻呂にまつわる開湯伝説はその大半が名前を借りただけである。また弘法大師による開湯伝説の場合、高野聖のうち、いわゆる山師的なものが温泉を探り当てた際に教祖たる空海の名を借用したともいわれる。 また、仏教の教えは人身の健康にも通じていた。それゆえ、僧侶は医薬にも精通していた者が多く、湯治の場として温泉を勧めた僧もいたという。そして、温泉により傷や病が癒えたことで、御利益があったと見做すことになり、温泉信仰が根付くようになった。つまり、信仰色が強い湯治場などで、僧侶による発見伝も多く、その効能や効果を世に広く謳うために、温泉療養に関連性の強い僧侶、とりわけその中で高名な人物を引き合いに出したという具合である。 高名な人物を借用するのは、前述の通り先賢の崇拝という部分が強いが、鎌倉仏教が広がる中で、それまで漠然として信仰の存在となっていた温泉に対し、医学的な活用がウェイトを占め、実用的、実益的なものになる。よって、鎌倉時代以降の人物が発見したケースでは史実に基づいたものも多い。たとえば、鎌倉中期には大友頼泰が温泉奉行を置いて浜脇温泉、別府温泉を整備しており、その湯治場の一つ楠温泉には元寇の役の戦傷者が保養に来た記録が残っている。1276年(建治2年)には、九州各地を勧進していた一遍が別府に立ち寄り、火男火売神社の導きにより「玖倍理湯の井」を鎮めて鉄輪温泉の石風呂(現在の鉄輪むし湯)を開いたとされる。武田信玄は多くの隠し湯を持っていたとされるが、これは傷兵の平癒という実益を兼ねたものである。また、信玄自身も下部温泉で、川中島の戦いでの傷を癒している。これらは、英雄崇拝という部分も見られる(他の人が発見したかも知れないが、それを恰も郷土の英雄である武将が発見したような喧伝がなされている点から)が、それ以上にこの頃になると医学の知識も向上しており、信仰の対象でもあった温泉の実用的な効能において、かなり強い信憑性を帯びていたことが挙げられる。 以下に、主要な人物とそれが発見したとされる温泉の例を挙げる。
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