人権侵害の疑惑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 02:21 UTC 版)
「オットー・ペレス・モリーナ」の記事における「人権侵害の疑惑」の解説
大量虐殺と拷問の容疑 アメリカ国家安全保障アーカイブを元に作成された2011年の報告書には、モント軍事独裁政権下の1980年代にペレスが焦土作戦を行ったとある。それによると、ペレスは1982年から翌年にかけて、イシル族のコミュニティにおける暴動鎮圧部隊に命じ、村々の80%から90%を徹底的に破壊させた。これによって、少なくとも184名の民間人が殺害されるか行方不明になった。 2011年7月、先住民団体のワキブ・ケイは、内戦中のキチェ族に対する大量虐殺や拷問にペレスが関与していたことを告発する書簡を国際連合に送付した。彼らはその証拠として、4人の死体の近くにペレスと思われる人物が映った、1982年の記録映像を挙げた。続くシーンでは部下が、この4人は生きて捕えられ、「少佐(ペレスとされる人物)のところに連行されたのだが、やさしく話しかけてもいじわるしても、口を開こうとしなかった」と述べている。 ペレスは、いかなる残虐行為への関与も否定している。ロイターには「隠し事などない」と述べたほか、内戦中に自身が果たした役割を誇りに思うとも語っている。人権侵害の容疑で告発されたことは一度もないが、ゲリラ兵の指揮官であったエフライン・バマカが1992年に失踪したこと(後述)に関して、グアテマラの最高検察官の主導で2011年に新たに捜査が始まると、その対象となった。 エフライン・バマカ殺害への関与疑惑 1992年、ゲリラ兵の指導者であったエフライン・バマカが失踪した。妻でアメリカ人弁護士のジェニファー・ハーベリーらによる捜査では、当時の軍事情報部長だったペレスが指揮官をとらえ、拷問にかけた可能性が示唆された。 米州人権委員会の聞き取り調査によると、バマカは1992年3月12日にグアテマラ陸軍に生きたまま捕えられ、その後1993年9月に死亡するまでの一年以上にわたって、裁判なしで秘密裏に拘留・拷問された。CIAの情報提供者は、この拷問や殺害を行った者たちに報酬を支払っていた。 ヘラルディ司教殺害への関与疑惑 アメリカ合衆国のジャーナリスト、フランシスコ・ゴールドマンは著書 The Art of Political Murder: Who Killed the Bishop? の中で、1998年4月にカトリック司教で人権活動家のフアン・ホセ・ヘラルディ・コネデーラが虐殺された現場から数ブロックのところに、ペレスが2人の高級官僚とともに住んでいる可能性があると述べ、これは暗殺を指揮するためだったとしている。1980年から1983年までキチェ族の司教を務めていたヘラルディは国連の歴史解明委員会の人権報告書の作成を手助けし、それが公表された2日後に殺害された。
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