事後法の観点とは? わかりやすく解説

事後法の観点

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 09:06 UTC 版)

極東国際軍事裁判」の記事における「事後法の観点」の解説

ラダ・ビノード・パール判事意見書のように、第二次世界大戦戦後処理が構想された際、アメリカ1944年昭和19年)秋から翌年8月までの短期間国際法整備したことから、国際軍事裁判所憲章以前には存在しなかった「人道に対する罪」と「平和に対する罪」の2つ新し犯罪規定については事後法であるとの批判や、刑罰不遡及の原則法の不遡及原則)に反するとの批判がある。また、戦後処罰政策実務担ったマレイ・バーネイズ大佐は、開戦国際法上の犯罪ではないことを認識していたし、後に第34大統領になるドワイト・D・アイゼンハワー元帥も、これまでにない新し法律つくっている自覚があったため、こうした事後法としての批判があることは承知していたとみられている。 しかし、フランス日本といった大陸法系考えでは、行為時に成文として存在しない法律根拠処罰されれば事後法該当するが、アメリカイギリスといった英米法考えでは、行為時に成文法でとして禁止されていない行為であってもコモン・ロー上の犯罪として刑罰科すことが可能であり、それは事後法には該当しない。まず、慣習法実定法一つであり、さらに英米法考えでは、過去判決集積などから導き出された法原理による判決であれば、必ずしも判例がある必要はなく、それは事後法反しないとする考え方である。その一般的な原理によるとする認定正しかどうかは、英米法では手続き適正さによって保障されるとする。また、第二次世界大戦以前にはすでに平和を破壊する行為違法であることが、主に慣習法として、もしくはヴェルサイユ条約パリ不戦条約など一部条約において既に確認されていたという意見もある。東京裁判では、あくまで補足的根拠としてだが実体的根拠については、パリ不戦条約存在事後法ではない根拠としている。日本においても、軍律死刑などもありながらあくまで行政処分一種という考えで、遡及適用ありうるとされていたようである。また、当時敗戦まで一時期存在したナチス法理論では事後法は必ずしも否定されておらず、東京裁判参加国一つであるソ連社会主義法理論においても同様である。

※この「事後法の観点」の解説は、「極東国際軍事裁判」の解説の一部です。
「事後法の観点」を含む「極東国際軍事裁判」の記事については、「極東国際軍事裁判」の概要を参照ください。

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