乗蓮寺とは? わかりやすく解説

乗蓮寺

読み方:ジョウレンジ(jourenji)

宗派 単立

所在 東京都板橋区

本尊 阿弥陀如来


乗蓮寺

読み方:ジョウレンジ(jourenji)

別名 尼将軍の寺

宗派 高野山真言宗

所在 神奈川県横浜市南区

本尊 不動明王千手観世音菩薩弘法大師


乗蓮寺

読み方:ジョウレンジ(jourenji)

宗派 高野山真言宗

所在 神奈川県平塚市

本尊 十一面観世音菩薩


乗蓮寺

読み方:ジョウレンジ(jourenji)

宗派 真宗大谷派

所在 岐阜県大垣市

本尊 阿弥陀如来


乗蓮寺

読み方:ジョウレンジ(jourenji)

宗派 真宗大谷派

所在 滋賀県愛知郡愛知川町

本尊 阿弥陀如来


乗蓮寺

読み方:ジョウレンジ(jourenji)

別名 宇谷

宗派 真宗大谷派

所在 鳥取県東伯郡泊村

本尊 阿弥陀如来

寺院名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

乗蓮寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/05 16:57 UTC 版)

乗蓮寺
所在地 〒175-0092
東京都板橋区赤塚5丁目28番3号
位置 北緯35度46分54.5秒 東経139度38分38.8秒 / 北緯35.781806度 東経139.644111度 / 35.781806; 139.644111座標: 北緯35度46分54.5秒 東経139度38分38.8秒 / 北緯35.781806度 東経139.644111度 / 35.781806; 139.644111
山号
  • 赤塚山
  • 慶學山
  • 孤雲山[1]
院号 慶學院[1]
宗派 浄土宗
寺格 別格本山
本尊 阿弥陀如来[2]
創建年 応永年間(1394年 – 1427年[2]
開山 了賢無的[2]
正式名
  • 赤塚山慶学院乗蓮寺
  • 赤塚山慶學院乘蓮寺
別称 東京大仏
法人番号 1011405000384
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乗蓮寺(じょうれんじ)は、東京都板橋区赤塚にある浄土宗別格本山の寺院。東京大仏があることで知られている。「東京大仏」は当該寺院の異称にもなっている。元旦には初詣で東京都民で賑わう。

歴史

応永年間(1394年 – 1427年)に了賢無的が山中村(現在の板橋区仲町)にて人々に教えを伝えるために創建したと伝えられている。その後、江戸時代の初期のころまでに板橋区仲宿に移転した。当時は孤雲山慶学院乗蓮寺と称していた。後に慶学山乗蓮寺になった[3]

当寺院は、郷主・板橋信濃守忠康の菩提寺になるなど人々から信仰を得ていた。

天正19年(1591年)に徳川家康から10石の朱印地が寄進され、その後も歴代の将軍から朱印地が与えられ格式ある寺院となった。また8代将軍・徳川吉宗鷹狩の際の休憩所・お膳所としても使われた。

1973年まで寺院があったところは、現在はマンションになっている。板橋区役所前駅すぐになる。

その後も長く仲宿の地にあったが首都高速道路の建設と国道17号の拡幅により、1973年(昭和48年)に現在の赤塚の地(赤塚城二の丸跡)に移転した。山号も赤塚山と称した[3]

そして1977年(昭和52年)、かつて首都圏を襲った関東大震災東京大空襲など、悲惨な震災や戦災が再び起きないよう願いを込め当寺院の代名詞にもなっている東京大仏が建立された。

寺宝等

墓所等

東京大仏

東京大仏(青銅)

境内にある阿弥陀如来像。坐像で青銅製の鋳造大仏としては奈良東京都日の出町鎌倉に次ぐ日本で4番目の大きさとなる。高さは基壇が地上2メートル、蓮台2.3メートル、座高8.2メートルの計12.5メートル。浅草の仏壇店翠雲堂が製造した。文化放送吉田照美のてるてるワイド』の企画で雑巾をつなぎ合わせマフラーを着けてもらった事がある。乗蓮寺を千葉氏の居城であった赤塚城二の丸跡に移転するにあたり、千葉氏一族、戦没者、そして有縁無縁の霊をとむらい、世界の平和と万民救済の願いがこめられている。

周辺

武蔵野台地の端に位置するため起伏に富み、緑豊かな閑静な地域にある。板橋十景のうち約半数が周辺に集まっており、赤塚城址松月院板橋区立美術館・区立赤塚植物園・都立赤塚公園・区立赤塚溜池公園等がある。穏やかな休日には散策する人を多く見かける。

その他

以前は、初詣の参拝客のうちベビーカー利用者を優先していたが、マナー違反者による混乱やベビーカーに躓いての負傷などの問題が発生した。警察からの要請もあり、2017年よりは一転して「ベビーカーご利用自粛のお願い」の看板が出るようになった[4]

交通

鉄道
都営地下鉄三田線西高島平駅:徒歩18分
東武東上線下赤塚駅:徒歩18分
東武東上線成増駅:徒歩18分
東京メトロ有楽町線地下鉄赤塚駅:徒歩20分
東京メトロ有楽町線地下鉄成増駅:徒歩20分
バス
東武東上線成増駅北口から赤羽駅西口行(又は志村三丁目駅行):乗車6分→「赤塚八丁目」下車:徒歩5分
東武東上線成増駅北口から区立美術館経由(西高島平駅経由ではない)高島平操車場行:乗車9分→「区立美術館」下車:徒歩5分
都営地下鉄三田線高島平駅から区立美術館経由(西高島平駅経由ではない)成増駅行:乗車9分→「区立美術館」下車:徒歩5分

脚注

  1. ^ a b 内務省地理局 1884.
  2. ^ a b c 斎藤 1927, p. 36.
  3. ^ a b 板橋区教育委員会 1982, pp. 152–158.
  4. ^ 初詣「ベビーカー自粛」要請で大騒ぎ 「差別」批判へ寺側の意外な言い分”. J-CAST ニュース (2017年1月5日). 2023年10月24日閲覧。

参考文献

  • 板橋区教育委員会 編『いたばしの寺院 いたばし歴史考古調査報告(その2)』板橋区教育委員会〈文化財シリーズ 第39集〉、1982年3月。NDLJP:12286592 
  • 斎藤長秋 編「巻之四 天権之部 孤雲山乗蓮寺」『江戸名所図会』 3巻、有朋堂書店〈有朋堂文庫〉、1927年、36-39頁。NDLJP:1174157/23 
  • 「下板橋宿 乗蓮寺」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ12豊島郡ノ4、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763977/34 

外部リンク


乗蓮寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 14:51 UTC 版)

長泉寺 (岡山県和気町)」の記事における「乗蓮寺」の解説

長泉寺以前にこの地にあった日蓮宗の寺で、熱心な法華経信者であった日笠頼房1518年1582年)が日笠村現在の和気町内)に日笠山乗蓮寺を建立した後年浦上氏宇喜多氏の間で戦い起こり日笠青山城等が焼失するが乗蓮寺は兵火から免れた寛文6年1667年岡山藩主池田光政時代寺社整理寛文法難)によって乗蓮寺は廃寺となった

※この「乗蓮寺」の解説は、「長泉寺 (岡山県和気町)」の解説の一部です。
「乗蓮寺」を含む「長泉寺 (岡山県和気町)」の記事については、「長泉寺 (岡山県和気町)」の概要を参照ください。

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