主な史料
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/30 07:43 UTC 版)
内部資料 - ゾロアスター教徒による資料 ペルシア語史料カルティールによる碑文 - 「ゾロアスターのカアバ」 ミフル・ナルセフによるゾロアスター教改宗勅令 - ズルワーン主義者による唯一の同時代史料 パフラヴィー語史料『メーノーグ・イ・フラド』(9世紀) 『「ザートスプラム」選集』(9世紀) - ズルワーン主義の存在を証言する最後のゾロアスター教文書 『デーンカルド』(10世紀)9.30 - 後世のペルシア語批評書に残された唯一のズルワーン主義に対する言及 『ウラマー・イェ・イスラーム』(13世紀頃) - 明らかにゾロアスター教徒の手によるペルシア語文献。ズルワーン派の双子の父の教義に関して外国人がする話 外部資料 - 非ゾロアスター教徒による資料 ロドスのエウデモス『神学の歴史』(4世紀) - ズルワーン主義の存在を示す最古の証拠。空間・時間を、敵対関係にある光のオロマスデスと闇のアリマニウスの『父』とみなすペルシアの教派について記述。『第一の諸始原についてのアポリアと解』(ダマスキオス、6世紀頃)に引用されている キリスト教アルメニア語・シリア語資料 - ズルワーン主義について知られていることの大部分はこれらの資料による。サーサーン朝の宗教を明らかにズルワーン主義的なものとして描いているアルメニア人コルブのエズニク『異端反駁』(5世紀) アルメニア人エリシュー・ヴァルタペト『ヴァルダンとアルメニアの歴史』(5世紀) シリア人ヨナンナーン・バル・ペンカイェー『世界年代記』(7世紀後半) - ネストリウス派修道士 シリア人テオドル・バル・コーナイ『注釈の書』(8世紀) - ネストリウス派主教 アルメニア人トヴマ・アルニツル『アルツルニ家の歴史』(900年ごろ) パフレヴィー語文献マニ『シャープーラカーン』(3世紀) シャフラスターニー『アル・ミラル・ワ・ン・ニハリ』(12世紀) 参考 『アヴェスター』 - ゾロアスター教の聖典。原ゾロアスター教の口伝をまとめた書物。ズルワーンが抽象的な目立たない神として2度登場するが、教派形成の証拠はない『ヤスナ』(72.10) - 大気と風(ワータ・ワユ)と共にズルワーンへの祈りがささげられている 『ヤシュト』(13.56) - 時間がアフラ・マズダとアンラ・マンユの意思によって定まるのと同様にして植物が成長すると記されている (『ヴェンディダード』) - ズルワーンに言及するも、後代に正典に付け足されたもので、ズルワーン主義の存在を証言していない。ヤザタ一覧にもズルワーンが登場しない サーサーン朝期のゾロアスター教資料 - ズルワーン信仰の痕跡が見いだせない。これは個々のサーサーン朝君主が必ずしもズルワーン主義者ではなく、聖典編纂期にマズダ主義が優勢だったからだとゼーナーが主張した
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